イグアス居住区で考える、日本人とは一体?パラグアイ日記②
パラグアイ🇵🇾イグアス居住区へ来ました!
前回ブログはこちら↓
イグアス居住区はパラグアイとブラジルの国境付近に位置する。
9つあるパラグアイの日本人入植地で最も歴史が新しく、現在は700人ほどらしい。パラグアイの移住が始まったのは1930年代ごろで、ここイグアスへの入植は1961年から本格的に開始。
国家戦略として行われた移住の背景は簡単にいうと人口過多。当時の戦後日本は第二次エネルギー革命によって生まれた失業者と東南アジアからの引揚者によって余剰人口を抱えていた。
一方パラグアイは近隣諸国との戦争と内戦による人口減少が著しく、外国へ労働力を求めていたんだって。
元ヤクルト投手の岡林選手⚾️はイグアス出身の日系2世。中学生までイグアスで育ち、中学3年生の時に両親の故郷である高知に移り住んだんだって!
2017/9/3
この日は広場で町の運動会だっていうから見学に行ってみた。
会場である日系人の男性と話す機会があったのだけど、、彼は日本に、日本人に対してひどく怒っているように思えた。
「日本が魅力的じゃなければ日本語を学ぶ意義がない。子ども達になんと説明すればいいのか」
ここにいる日系人の子どもたちの第一言語はスペイン語。また、ブラジルまでは車で1時間もかからないため、ポルトガル語も自然と覚えるんだそう。そして、学校ではもちろん英語も学ぶ。英語・スペイン語・ポルトガル語を話す彼らに、祖先の言葉だからという理由だけで日本語を勉強しなさいというのには説得力に欠けるという。
「今の日本は、正直だらしがない」
そう言われても反論も、共感すらもできる材料を持ち合わせていない思考停止の日本人が私。日本で生まれて日本で育ち、何の疑問も持たずに自分は日本人だと思っていたけれど、パラグアイで生まれてパラグアイで育ち、私よりもはるかに日本のことに精通し、日本社会について考えている男性を目の前にして、当たり前だと思っていたことがよくわからなくなった。日本人って一体なんだ?
「日本から出てきたから日本人として恥じないように行動する。そういう思いでやってきたのに。日系人ってなんだよ。俺らは日本人だよ。」
今まで訪れた日系社会はどこも暖かく、友好的で綺麗な部分しか見えていなかった私に”棄民”の2文字が浮かんだ。南米移民は日本政府の棄民政策だとも言われている。勉強不足でわからない点が多いのだけれども、学校で日本の移民史についてほとんど触れられていないことから(ごめんなさい今はわからないんだけれど少なくとも私の記憶では習った記憶なし)もどこか納得してしまう。この男性が何を伝えたくて、私に語りかけていたかを残念ながらもう知ることはできないのだけれど、日系移民の歴史に対して明るい部分しか見ようとしていなかったことに気づかされることとなった。
本日も最後までお読みいただきありがとうございます!!
つづく
アスンシオンとニャンドゥティ。パラグアイ日記①
パラグアイ🇵🇾に上陸しました!前回ブログはこちら↓
ボリビア、サンタ・クルスからパラグアイ、アスンシオンまでの長い道のり。。
パラグアイの国土は日本の1.1倍ほど。人口は千葉より多くて埼玉より少ない695万人。長距離バスではありがたいことに隣の人はいないことがほとんどなので、2席を堂々と使って丸くなって寝るスタイルでいつも過ごしています。度々休憩に停車をするんだけど、、、真夜中に言葉の通じない私にも伝わる不穏な空気に襲われた。
むむむ??なんだか様子がおかしいぞ??強制的に外に出される乗客。私も促されるままに眠い目をこすりながら外に出ると、、、
ガ、ガサ入れだ!!!!!
出るわ出るわの大量の荷物。唐辛子や古着の袋の中に紛れ込ませていたであろう”何か”。その何かが何なのかの確証はないんだけど、、、おそらく大きい麻かな??まさかこんな光景に出くわすとは。一部始終を終えるとバスは何事もなかったかのように普通に出発した。出された荷物はどうなったんだろう?と考える暇もなく、私はまた2席使って丸くなった。20時間以上の超長距離バス移動の末、無事にアスンシオンに到着した。
宿泊先の日本人宿”らぱちょ”についたのはもうあたりが暗くなった後。この日はシャワーを浴びてすぐに寝た。翌日、宿で知り合ったお姉さんに、「ニャンドゥティ」というパラグアイ伝統のレース編みを教えてもらった。名人がいるとのことで、バスを乗り継ぎお宅訪問。
アスンシオンにはブラジル🇧🇷のビザを取得に来たんだけど、(2019年6月〜日本人のブラジルのビザは免除)窓口に行ってみると申請に3、4日かかると告げられた!!!ネット情報だと次の日にはもらえるって書いてあったのに、、、!どうにかならないかと粘ってみるも却下。。。どどどどどづしよう。。。どうにかこうにかならないんですか!!?と必死こいてると、アスンシオンから南に約370kmに位置するエンカルナシオンに行けばビザを即日発行してくれることを教えてくれた。こりゃあもう行くしかない!!らぱちょに戻ると女将さんがバスの時間など色々調べてくれて、無事に次の日の朝一にエンカルナシオンでブラジルビザをGETすることができた!エンカルナシオンの次は北上して、イグアスに!
相変わらずドタバタしてますが、旅のラストスパート、かましてきます!
つづく
最後まで読んでいただきありがとうございます!😆🇵🇾
ボリビアのバスターミナルにスマホ忘れた話。ボリビア日記⑧
めでたくオキナワ村にて28歳の誕生日を迎え、乗合いタクシーで向かう先はサンファン移住区。前回ブログはこちら↓
サンファンは、九州出身の移住者の多い日本人移住者の入植地で、1955年に製糖業(サトウキビ栽培と砂糖作る)を興すためにはじまったんだって!
シゲさんの紹介でサンファンの小学校を見せてもらったり、資料館に行ったりとで1日を過ごした。オキナワロスが激しすぎて写真を全然とっていないことが発覚。何してんねん自分。唯一の記憶は宿泊先の米倉さんのお母さんがバス乗る前に手作りの揚げ饅頭が最高に美味しかったこと。。。
2017/8/29
いよいよ旅も終盤!30カ国目のパラグアイに移動だ!
サンタ・クルスから夜行バスでパラグアイのアスンシオンへ向かう。🚌
久々の長距離バス。バスターミナルは人がごった返し、当たり前だけど周りにボリビア人しかいない。チェックインをしにバス乗り場へと向かう。チェックインするまでは毎回、自分のチケットが正しいかどうかが不安になる。
チケットを見せたら、従業員の待合スペース的なところの案内されて、椅子に座らせてくれた。すかさずコンセントを見つけてスマホを充電させてもらう。
案内してくれた従業員とみられるボリビア人のおっちゃんは🧔🏽「ハポン!」(日本)と言ってやたら話しかけてくる。🧔🏽⚽️「ハポン!ナカタ〜!⚽️」の繰り返し。笑 愛想笑いもそろそろ疲れてきたぞと思っていると、おっちゃんがバスターミナルの使用税を払う必要があるというジェスチャーとグーグル翻訳を見せてきた。
👩🏻「わー!出た出たターミナル税!それ絶対ポケットに入るやつじゃん!てゆーかボリビアのお金、もう綺麗さっぱり使いきちゃったからないよ!🙅🏻♀️」
と、渾身のジェスチャーで伝えた(つもり)
するとおっちゃんは席を立って、しばらくすると1枚の紙切れをくれた。
🧔🏽⚽️「税金は俺が払っといたよ」(と言ってくれたような気がする)
👩🏻「え!ワイロじゃないの?よくわからないけどありがとう!」
バスに乗る時間になったらしく、案内され列を作っている係の人が先ほどおっちゃんがくれた紙を回収しているではないか!
👩🏻(ええええ!まじか!ワイロとか言ってごめん!本当にありがとう!)
「おっちゃんありがとーーー!」と手を降って、バスまで少し歩き、無事に自席につき出発を待っていた。
👩🏻(いや〜。ナカタナカタうるさいとか思って本当ごめんだわ〜。めちゃくちゃ親切な人だったな〜)
そしてふと窓の外に目をやると、ナカタのおっちゃんの姿が!!🧔🏽⚽️
そして手にはなんとサッカーボール⚽️ではなく私のスマホ📱!!!!!
🧔🏽📱「お〜い!忘れてるぞーーーーー!」
👩🏻「わーーーーー!!充電したままだったーーーーーーーー!!!!」
勝手に充電して税金はワイロと疑った挙句に払ってもらい、さらには忘れ物を届けてもらうという暴挙。。。
もうおっちゃんに頭があがりません。🙏🏻💦💦
南米は危険、怖いというイメージが強く、確かにそういう場所が存在するのは事実だけど、全部が全部、みんながみんなそういうわけじゃないことを身を以て経験させてもらいました。
本当にいいおっちゃんだったな〜🧔🏽
最初から最後まで、ボリビア人の優しさに支えられた滞在となりました。今日もお読みいただきありがとうございます!
つづく
ボリビアで28歳になりました!ボリビア日記⑦
ボリビア・オキナワ村編ついに完結!
前回ブログはこちら↓
2017年8月28日。
わたくしの28回目の誕生日です。
8月28日はハニワの日として知られている訳ですが、(え)そのハニワバースデーの中でも28歳はまた特別なのですよ、なんてったって、82828だから!!!!
プレミアムなハニワバースデー直前の私はこちら。
シゲさんも帰宅し、楽しくおしゃべりする中で急に眠気。時計の針が12持を回ると、なななななんとみんなが誕生日をお祝いしてくれたのです!!!!😭😭😭😭😭😭😭
本当だったら移動中のバスで静かに28歳を迎えるところだったのですが、いや、そうでなくても旅中にこんなに嬉しいお祝いをしてもらえるなんて思ってもいなくて、本当に本当に嬉しかった。本当に、最高の誕生日を迎えられた。
ここからは別日に書いた、
エモ120%の私の日記をどうぞ。自分を含め、年齢で焦りを感じている全ての人に。
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旅のはじめ、何となく28歳の誕生日までには次のステージに立っていたいと思っていた。
きっとこの旅が私に人生の目標や”何か”を与えてくれて、それを元に新たな目標を設定して、28歳はそれに向かって「いざ!!!」っていうイメージ。
だからあえて旅行保険は9ヶ月分。遅くとも8月中頃までには帰国して色々整理しようと考えていた。こーゆーこと考えるのが自分で言うのも何だけど優等生感出てる気がする。笑
だけど7月はまだグアテマラ。南米にすら入ってない。
28歳って世間的に見たらいい歳でしょ。
結婚している友達
着実にキャリアアップしている友達
そんなことを考えながら、旅しながらも案外頭の中は小さな世界で苦しんでいた。
自分の世界を広げるのも狭めるのも心次第と痛感。
そんな悩みも毎日毎日思い浮かぶことを言葉にしてひたすら自分と対話することで徐々にほぐれていく。というか諦めていく。
スキルもキャリアも無いことは事実。じゃあこれから手に入れていくしか無いんだ。「若さ」という免罪符に頼って楽しようと思うからきっと歳をとっていくのが怖いんだと思った。若くて元気があれば大抵は許されると勝手に思っているから。
誰のための旅なのか
自分のための旅なのに自分が決めた制約に苦しむという矛盾。
28歳までに。30歳までに。
そんなキーワードが頭をめぐる。
世界を旅するくらい好き放題してるやつでもそんなこと考えるんだね~って客観的に思う。だけどどんだけ旅してもやっぱり私は生まれ育った日本が好きだし日本社会で生きてくつもりだし、根拠なんて何も無いと頭ではわかっていても染み付いた考え方はそう簡単には払拭することはできない。いくら多様な価値観に触れたって、それは自分の価値観を変えてはくれない。
そんな不安な私を励ましてくれたのは同じ旅人だったり、親友の存在。
何か大きいことを成し遂げなきゃっていうプレッシャーを感じ取ってか、
「絶対に心が豊かになっているから大丈夫だよ」
と励ましてくれた。
「旅の意味はすぐにではなくて、何年か後に花開くのかもよ」
「歳をとるのが楽しい。楽しみ方をどんどん覚えていくから」
それから、いばや通信でおなじみの坂爪さんが(知らない人はググろう)
『歳をとるということは年齢の可動域が増えるということ』と教えてくれた。
28歳としての振る舞いもできるけど、
16歳のように一生懸命にもなれる
5歳のような純粋さも
それは自分だけが歩んできた人生だから。
そして28歳の誕生日は忘れられない日になった。
前日までは移動のバスの中で28歳を迎えるつもりだったんだけど、オキナワ村の魅力とシゲさん宅の居心地の良さに甘えさせてもらうことにした。
オキナワ村はボリビアにある、戦後のオキナワ移民がジャングルを開拓し築かれた地域だ。
ここの存在を知って行きたいと思ってから、6年越しに願いが叶った。
来てみると想像以上に素敵な場所、というか素敵な出会いに恵まれて最高の滞在となった。
沖縄県から派遣されている小学校教師のシゲさんの家に、ワイルドでクレイジーな旅をしている。バックパカーカップルのアキさんエリちゃん3人とで泊めてもらい、不思議な5日間が始まった。
本当に幸運続きのこの旅は、笑顔のおかげかな!?なんて思ったり。でもそれは、私を笑顔にしてくれる、今まで出会った人々のおかげ。私の旅が安全で奇跡に溢れた旅になったのは、今まで出会ってくれたみんなのおかげ。私の一部になってくれてありがとーーーーー!!!!と超特大の感謝を伝えたいです。27歳までの私に出会ってくれてありがとう。ありがとーーーーーー!
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あっという間のオキナワ村での生活。
なんの接点もなかった日本人が、南米で寝食を共にする不思議な体験。
「また会いたい」
そう思える人と出会うこと、
そう思えるような出会いを育むこと。
幸運にも私にはその力があるということ。
嬉しさと誇らしさを胸に、ついに出発!
オキナワ村に来て再度確信したのは、心が満たされるのは、どんな絶景よりも人とのふれあいだっていうこと。素晴らしい出会いに恵まれたことで、今までの人生で出会った全てに感謝が生まれた。たまに思うんだけど、終わり良ければすべて良しのあれって、最後、オセロがひっくり返るみたいに今まで辛いとか思ってたことが、全部報われるっていうか、あの時のアレはここに繋がるんだなっていうあの感覚。(抽象的すぎてごめんなさい)うん、でも言いたいのはそういうことなんです。
という訳で、最高のオキナワ村滞在を終え、次に進みます!いつもお読みくださりありがとうございます! つづく
Saturdayオキナワ村ツアー!ボリビア日記⑥
まだまだボリビアの沖縄村!
前回ブログはこちら↓
8/26(土)
土曜日の朝はのんびりグダグダ。今日は何をしようかねーと4人で考える。村の入り口にある、ようこそオキナワ村の看板みたいねーなんてゆー話をする。(村に来るとき爆睡してしまったので看板見逃した。。)そうしたら徹さんからシゲさんに電話が。先日はシゲさんが授業で行けなかったらから、農園を見せてもらえるという連絡が!やったー!甘えまくりです!
というわけで!徹さんプレゼンツ!Saturdayオキナワ村ツアースタートです!✨
昼間の農場もまた素晴らしく綺麗。
麦の黄金色と青空のコントラストが美しかった。(写真は白飛びしちゃったけど)
みんなで順番にトラクターに乗せてもらって大興奮!悪者と戦えそうな気分になったよ!笑
そのあとはリオ・グランデへ。直訳すると”大きい川”。そのまますぎるネーミング!
村の東に流れているから大雨の時には何度も氾濫し、災害をもたらしているのがこいつ。だけどこの川のおかげでこの辺りの土地は肥料を与えなくても食物が育つ、素晴らしい土壌なんだって教えてくれた。訪れた当時はKOICAの支援で橋を建設中だった。KOICAっていうのは、韓国版JICA。名前にちょっと感動。笑 SUICAとICOCAみたいな。違うか。笑
おやつの時間には、金城商店へ!❤️
おばあが入れてくれている飲み物名は、『モコチンチ』。言い間違い注意なこの飲みもんは、干した桃とスパイスがベースとなった飲み物。ボリビアの定番ドリンクなんだって!
モコチンチと大好きなアンティクーチョの天ぷら、サーターアンダギーをご馳走になって大満足!なところで「揚げたてが一番うまいから」って、揚げたてアンティクーチョ天ぷらのお代わりまで!本当に何から何までごちそうさまです🙏💕揚げたてはマジでBEST OF BESTな味でした。
そしてその後はついに!メンソーレオキナワの看板を見に!!!やったー!
私は明日移動する予定だったので、徹さんにお願いして敬光さんに挨拶に連れて行ってもらった。出会ってくださり、本当にありがとうございます!
そして、本日のツアーの締めは、、、、
どーん!巨大サンドウィッチ!!!!
本当に本当になんとお礼をして良いのやら、、、、、。😭💕
オキナワ村の居心地が良すぎて、素晴らしすぎる出会いに恵まれすぎて、明日移動するのが本気で嫌になったところで、
「もう一泊してきなよー!!!」というみんなの声。
延泊決定〜!
※居候です※
本当に本当に、ただのなんでもない人間をこんなにもてなしてくれて、もう感謝しても仕切れません。今日1日も本当に楽しくて最高の日になりました。
8/27(日)
日曜の朝。実はシゲさん、サンタクルスでJICAの研修。7時半に出て行くシゲさんを見送るため早起き。仕事に向かう男性を見送る瞬間、最高。毎日したい。と、私の結婚願望が高まったところで2人も起きてきたので、みんなでお散歩に。
屋良商店に行くと、海苔巻きが!
2人のワイルドで面白すぎる旅エピソードを聞きながら、夜にシゲさんが帰ってくるのをのんびり待つのでありました。 つづく。
今日も最後まで読んでくださりありがとうございます!
私が寄稿したオキナワ村の記事もよろしくお願いします!❤️
それではまた次のブログにて〜🙌
(明日って言わないのは逃げとは言わないで、、、笑)
オキナワ村の日ボ学校に潜入!ボリビア日記⑤
海のない沖縄にいます!
前回ブログはこちら↓
2017/8/25(金)
午後から出勤のシゲさんと4人で朝から診療所のいきいき体操へいく!3度目の自己紹介。名前を覚えてくれているおばあたち。知らない土地で知ってもらえるってとっても嬉しい。
終わった後はしずえさんとユンタク。なんと手作りのお饅頭をご馳走になりました!何度も言いますが、ここはボリビアです。
ほんっと、美味しかった〜。お饅頭食べたの久しぶりすぎました。しずえさん、うちのおかんと同い年だと聞いてびっくり!とっても若くてパワフル!!
その後は屋良商店にお買い物。貧乏バックパッカー達に財布を出させないシゲ様様様😭何から何までお世話になりすぎ😭😭😭
「子どもたちは今頃給食の時間だな〜」なんてシゲさんが言うもんだから、そらぁ私の興味が黙ってませんよ!ボリビアの子どもたちがお昼に何食べてるか、めっちゃ気になるじゃん!昼めし旅はじめちゃうよ!
「あなたのご飯、見せてくださーーーーーい!」
シゲさんの教鞭を執るオキナワ第一日ボ学校は幼稚園〜中学校(確か0年生〜7年生)までの生徒が通っている。午前中はスペイン語で普通授業が行われ、午後は日本語の授業。日本語の授業は日本語の読み書きだけでなく、体育、音楽、図工なども。オキナワ村にはもう1つ小中一貫校があるんだけど、日系人の子どもはやっぱり日本語を習わせたいと言う親の想いから、ほとんどが日ボに通っているんだって。
休み時間の後は、稲井先生(シゲさん)の授業に。アラサーバックパッカーズも着席。
ここに通う子どもたちは日系4〜5世。どうしても若い世代になるにつれて日本語が話せなくなってしまうのが村の課題らしい。
日本語の次は、音楽!
敬光さんは毎週金曜日に三線を子どもたちに教えている。
敬光さんの三線の授業、私もめちゃくちゃ楽しみにしてたのです!もちろん参加させてもいました!日本語があまり話せないちーちゃんが初めて三線を触る私に根気強く教えてくれてとっても嬉しかった。子どもがどこで活躍できるのか、狭い教室の中だけでは絶対に測れないからこそ、外との連携、先生同士の連携が大切だよなーと改めて思った。
そのまま7年生の三線クラスも見学。
「村の心」というオキナワ村の歌があるんだけど、それを聞いて思わず涙がこぼれそうになる。ジャングルを必死に切り開いた敬光さんは、今どんな思いで子どもたちに三線を教えているんだろうか。そう考えると、心がとっても温かくなった。
授業が終わり、再び資料館へ向かった。
その道すがら、私はペンを落としたようだ。相変わらず落し物が多い。
声をかけてくれたのは地元のバイクタクシーの運転手さんとお客さんであった青年。
「これ、落としたよ!」って。
日本ならまだしも、ここボリビアでそんなことが起こることに感動した。日本人の築いた文化が根ざしているんじゃないかって。そう思った。
夕方、シゲさん宅に戻り、えりちゃんとクッキングー!料理上手のえりちゃんとガールズトークを楽しみながら料理をした。なんとシゲさん、貰い物のワニの肉があるからということで、人生で初めて、ワニの料理に挑戦!笑 ワニさんは唐揚げになりました。料理途中に、あきさんえりちゃんカップルに一旦バトンタッチをして、シゲさんと敬光さんの大人三味線教室を見学に。金城商店のおばあにも会えた。この人が今ここにある全ての素晴らしい縁を運んできてくれた。改めて、体操クラブに誘ってくれて、ありがとうございます!
家に帰ると準備万端!いっただきまーす!
みんなでもりもり食べた後、シゲさんがお世話になっているチュチュさんという方から連絡があって、夜空とワニを見せに連れて行ってくれた。娘のゆいちゃんは今日学校で日直をしていた子だった。可愛くてしっかりした子がいるなあと思っていたその子だった。
お母さんにそのことを伝えると、昨年沖縄で行われた、世界のウチナーンチュ大会に行って少し意識が変わったかなって言っていた。ウチナーンチュ大会とは、5年に一度、世界各国にちらばる沖縄にルーツを持つウチナーンチュが一同に集まるお祭り。沖縄人としてのアイデンティティを確かめる、大切な行事なのだ。私もいつか見てみたいな〜。
月明かりがすごく綺麗で、無事にワニも見れた。みんなでおしゃべりがすごく楽しくて、シゲさん宅に戻った後も夜遅くまでいろんな話をした。
本日もお読みいただきありがとうございます!
沖縄村に興味が出た!という方、JICA隊員の方が製作したドキュメンタリーを発見したのでこちらをぜひ!それではまた明日〜!
やさしい風の吹くオキナワ村。ボリビア日記④
2017/8/24(木)
朝、診療所に集合してバスに乗り込む!
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オキナワ村は第一移住区、第二移住区、第三移住区はリオ・グランデと同じように南北に位置する3つの地域から成り立つ。もちろん第二、第三にもおじいおばあは住んでいるので、体操クラブは定期的に遠征を行うのだという。
バスで隣になったおばあは第3次移民として10歳の時にボリビアに来たという。ブラジルに到着した後は汽車でボリビアに移動。国境付近で目の前にジャングルが広がっていて、すごくがっかりしたのを覚えていると話してくれた。移民すればいい暮らしができると聞いていたのに、いざ来てみたら太陽が見えないほどの原生林だったという。当時は野生の動物がたくさんいて、プーマやバンビを捕まえた話や写真花嫁について教えてくれた。再び沖縄を訪れたのは、ボリビアに来てから27年経った後だったという。
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第三移住区のデイサービスは体育館で行われた!
本当に、何度もここがボリビアだということは忘れてしまう光景。
準備から手伝わせてもらい、いろんなアクティビティに参加させてもらった!ハンドベルとかゲートボールとかやった!
お昼ご飯も一緒にいただきました。沖縄名物のゆし豆腐が出てきて感動。そうだ沖縄村は大豆生産国内No.1だったっけ。美味しかった~。
この日はおばあだけだったかな?みんなとっても元気で普段は離れて暮らすから友達との再会もとっても嬉しいと話していた。最後に今日の感想をどうぞと、あきさんえりちゃん私の旅人3人組にマイクが渡された。自分が何を話したのか全く覚えていないけど、当時の日記には
あきさんが「7ヶ月の旅で満たされなかったものが満たされた」と言っていた。
と書いてあった。
あきさんの言いたいことがすごくわかる。旅中に感じた人の優しさ以上の何かがここ、オキナワ村にはある。それはもちろん自分が日本人だからかもしれないけれど、思わず笑顔になってしまうような空気が、日本の沖縄と同じ、ゆったりとした優しい風がボリビアのオキナワにも吹いていた。
第一移住区に戻った後は稲井先生の働く小学校へ鍵をもらいに。
ええ。鍵ですよ、鍵。稲井先生宅の鍵ですよ。笑
なんと昨晩食事の後に、部屋が余ってるからみんなで泊まったらいいさ〜とこれまたなんとイチャル前からチョーデーなお誘いをしてくれたのです😭💕
こうして、小学校の先生とバックパッカーカップルと私との奇妙で愉快な共同生活(居候生活ともいう)が始まるのでした😹
それでは続きはまた明日!今日もお読み頂きありがとうございます!!!
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