Go For Broke! 442ndが救った町、フランス・ブリュイエール①
リヨンをバスで出発し、ナンシーという街で2泊してから向かったのが、ブリュイエール。
この旅を全体を振り返ると、計画時期から絶対に行きたい!行こう!と決めていた場所と、旅中に決めた行き先とでは、圧倒的に後者が多いのだけど、今回は絶対に行きたいと決めていたフランス、 ブリュイエール(Bruyeres)のお話。
2017.4/17
電車こそ通ってるものの、ヴォージュ山脈に位置した田舎町で人口は3200人ほど。 深い森に囲まれているこの地を訪れる観光客が少ないことは、町に一軒しかなかった宿からもよくわかる。
数時間前、ナンシーからブリュイエールに向かうために電車に乗った。 途中、エピナルという駅で乗りかえた。言葉の通じない場所での電車の乗り換えはいつも緊張する。
殆どの乗客はエピナルで降車し、車内はガラガラだった。
駅につくと、期待していたような観光案内所はなく駅員さんの姿もなかった。
降りた乗客は私ともう一組だけだったと記憶してる。山の中だからか、もうしがう余計寒かった。
駅から 町は少し離れていて、相変わらず背中に20kg、お腹に7kgを背負って歩く。宿の最新情報がないけど、とりあえずはネットで唯一ヒットした、ラ・ルネッサンスに向かう。
ここは、ノンフィクションライターのドウス昌代さんが『ブリエアの解放者たち』を書くにあたって投宿されたホテルである。
街の入り口付近から人や車がちらほら現れたので携帯に保存していたホテルの写真を見せて道を聞く。 数人の人に助けてもらい、ホテルに辿り着いたがしまっている。
犬の散歩中のムッシュに聞くと、数年前に閉館したとのこと。
さて困った。
しばらく町をうろつくとホテルらしきものがあったが今まさに施行中。だけどそのすぐ隣の建物にホテルの文字が。
薄暗いフロントには誰もおらず、奥につながる廊下を恐る恐る行くと、そこはレストラン だった。中の従業員に声をかける。どうやらホテルと経営者は同じのようだ。さすがフランスの料金設定にびびってしまい、とりあえず1泊だけお願いをした。この旅で1番高い宿となる。
2階の個室に案内される。
傾いた床、軋む階段といいコスパには不満はあるものの、ひとまず寝床が見つかっ たことに安心。
wifiもバッチリ入るし、部屋にシャワーがあって、タオルが用意されていることに感動。
1人部屋なので好き放題荷物を広げた後は早速、グーグルマップを開いて現在地を確認して周辺を検索。
“Rue du 442 Ema R.i.a”
”442部隊通り”
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442部隊って?
正式名称を、The 442nd Regimental Combat Team、通称442nd(フォーフォーセカンド)。
日本語だと第442連隊戦闘団(442部隊)。
第二次世界大戦中に活躍した、アメリカの陸軍部隊の名前である。
当時ナチス率いるドイツ軍に占拠されていたこのブリュイエールの町を解放したのが442ndであり、住民たちは彼らの功績と感謝を込め、町の通りの1つを“Rue du 442 Ema R.i.a”、 ”442部隊通り”と名付けた。
442部隊通りを更に進むと、山の入り口に。 山道を進めば、記念碑があるはず。
距離にして、2kmくらいだろうか。 天気はあいにくの曇り。途中土砂降りにあい、ちょうどよく建っていた看板の前で雨宿り をすることに。
お天気が悪いとはいえ、暗く感じるのは木々の背丈が高いからだろう。 とにかく、とにかく静かだった。
小雨になったところで再び出発。 ホテルを出発してから45分くらい経過しただろうか。 ようやく、記念碑に到着した。
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TO THE MEN OF THE 442ND
REGIMENTAL COMBAT TEAM U.S.ARMY.
WHO REAFFIRMED AN HISTORIC TRUTH HERE... THAT LOYALITY TO ONE'S
COUNTRY IS NOT MODIFIED BY RACIAL ORIGIN
THESE AMERICAN, WHOSE ANCESTORS WERE JAPANESE, ON
OCT 30. 1944 DURING THE BATTLE
ON BRUYERES BROKE THE BACKBONE
OF THE GERMAN DEFFENCES AND
RESCUED THE 141ST INFANTRY
BATTALION WHICH HAD BEEN
SURROUNDED BY THE ENEMY FOR FOUR DAYS.
442ndは国家への忠誠は人種によって変わることのないという 歴史的真実を改めて証明した。
日本人を祖先に持つ彼らは1944年10月、 ブリュイエールの戦いにおいて、ドイツ軍の防衛の要を突破し、 4日間、敵に包囲されていた141部隊の救出をした。
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私は静かに、同じ祖先を持つ日系アメリカ人の兵士たちに思いを馳せ、手を合わせた。