聖地よりもねこが気になる。
1月10日
パレスチナからエルサレムに戻ってからはキリストが死刑判決を受けたピラト邸にあったアントニオ要塞から、十字架を担いで歩いたと言われるゴルゴダの丘までの道、”Via Dolorosa”を歩くとこにした。
エルサレムの旧市街の中で14箇所のステージが設けられており、10から最後のステージであるイエスの眠る墓は聖墳墓教会内にある。
パレスチナから戻ったのがもう夕方時近くだったから、
聖墳墓教会だけを次の日に残し、この日は宿に戻ることにした。
夜はどこでご飯を食べようか。。。物価の高いイスラエルに戻ってきてしまった。
レストランを覗いては見るものの、やっぱりお高い。
今夜もサンドイッチかな〜
メニューを見せてもらいながら、明日イスラエルを出国するための国境までのバス代を残すと、やっぱりたりない。
そんなこんなで店先にいるとなんと店主が相談にのってくれて、破格でケバブを出してくれた!!!😭久々の肉に感動。
なんて、なんて優しいのだ、、、
ユイさんといるとよくミラクルが起こる。
「こうやって親切にしてもらったことはいつか誰かに還元しないとだね」
パレスチナからの帰りでもあったからか、ユイさんと平和や人生についての話をした。
「やっぱり人間いつ死ぬかわからないから、やりたいことやろう!
そんで大切な人にはきちんと大切なことつたえよう!!!」
ちょっと恥ずかしいくらいアツくなったは、店主がホットワインを二杯もサービスしてくれたからかもしれない。
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1月11日
この日はとっても清々しいお天気で、すごく気持ちが良かったことを覚えている。
エルサレムではもちろん、イスラム教の第三の聖地である岩のドームにも行った。
正直にいうとね、、
信仰のない自分にとっては、聖地は確かに厳かな雰囲気は感じるけど、それは自分の内面からではなくその場にいる人々に緊張感からである気がする。
だから場所そのものに対しては深い感想をもてなかった。
万人にとっての神聖な場所は必ずしも自分にとってのそれであるわけじゃないという当たり前のことに改めて気が付いた。
わたしの旅をするにもかいたけど、
みんな行ってる有名どころにわざわざ行く必要ないなって、イスラエルに行ってから2ヶ月経った今現在(スペインの端っこの町なう!)、やっと気が付いた。
ちょっと最近の話をすると、わたしの旅のブログを書いてから、チェンマイ・ミャンマーで会ったKENさんが感想の連絡をくれたのをきっかけに少しまた自分の考えが整理された。
”自由や未知を求めて旅に出たはずなのに、なぜかガイドブックに書かれた有名どころやお決まりのルートを辿るという矛盾。”
(やばいこれ、名言っぽい!w)
わたしは貧乏性だから、せっかくここまできたんだから、世界遺産でしょ!?いっとかなきゃ!みたいな部分でわりかし有名どころはおさえてきたんだけど、さほど興味のわかない場所は自分にとってはそんなに重要じゃなかったことに気がついた。だからスペインでは色々スルーしてるw
自分が求めた時がタイミングなんだと思う!
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人間が厳かな雰囲気でいるのに御構いなしでのんびり過ごすねこの方が気になるんだよな〜