全米で泣いた!男女16人アメリカ横断物語!第2章:マンザナーで平和について考える
2017年5月7日
横断2日目
ロスから約3時間ほど運転で北上し、
マンザナー国定史跡に到着した。
雪が残る山の麓が見えるほど、何もない荒野が広がる。
もう5月なのに、冷たく乾燥した風が吹く。
キャンピングカーを降りると、アメリカ人のおじいさんが話しかけてきた。
「君たち、日本人かい?」
「子どもの頃、リトルトキョーの近くに住んでいてね、日本の友達もたくさんいたんだ。
だけどある日突然、お別れも言えないまま彼らはどこかに行ってしまったんだ。
本当に悲しかった。彼らは、本当に良い友人だったんだよ」
マンザナー国定史跡
またの名を、「マンザナー強制収容所」。
ここは第二次世界大戦中に、当時アメリカに暮らしていた12万人もの日系人が隔離された収容所の1つ。(収容所は全米で10箇所)
駐車場で出会ったおじいちゃんの友人も、このどこかに連れてこられたのだろうな。
1941年12月7日
「日系人は日本のスパイに違いない!」
「放っておくと危険だ!どこかへ隔離してしまえ!」
謂れのない偏見と憎悪と暴力が、日系人に向けられた。
1942年2月19日
12万人の日系人は、
家
仕事
畑
全て失った。
言われなき差別によって、
基本的人権、人としての尊厳が奪わた。
詳しい説明はこちらから↓
収容所のパノラマ。約1万1千人が3年間ここで生活をする。
再現された小屋。砂埃がひどかったと聞く。2家族以上が1つのバラックで生活した。
トイレに仕切りはない
強制収容所政策が、憲法違反であったと政府が認め、謝罪するのは収容所の閉鎖から40年以上先の1988年。アメリカ政府から日系人へ公式な謝罪と補償、そして後世に伝えるための教育基金が設立された。
しかし、今日のアメリカはどうなのだろうか。就任早々、イスラム圏の国からの入国禁止令を支持するトランプ大統領。そして、それを支持する人々の存在。
この危うい状況にいち早く「おかしい!」と声をあげたのが、強制収容を体験した日系アメリカ人だった。
「アメリカは過ちを繰り返してはいけない」
日系人は、自らが経験した強制収容所の歴史から、自由と平等の社会の実現に向けて行動し続けている。
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私はマンザナーにめちゃくちゃ来たくて来たくてしかたなかったのだけど、他のメンバーはどう思うかずっと心配だった。
退屈させないかな?とか、嫌々来てないかな?とか。。。
せっっかく連れて来てもらったのに終始そわそわして、いらない気を使いまくってしまったことに反省。好きなことは好き!ただただ純粋に学び楽しんで、
「みんな、連れて来てくれてありがとう!」って言えればよかった。って、すごく思った。
でも、「りょんりょんのおかげで日系人の歴史が知れてよかった」って言ってもらえて、すごく嬉しかった。改めてメンバーに感謝。
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人種、宗教、肌の色、価値観、考え方、、、
あなたと私は違って当たり前。
それは「違う」以上でも以下でもない。
ただ違うという事実。
誰もが自由で平等な世界に生きれるように、
違いを楽しんで、愛せる人になりたいなと。
多様性を認め合う世界の実現のために血を流した人たちのことを忘れないように。
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最後に、資料集めで見つけたオススメの動画たち!
9.11テロに立ち向かった日系人(日本語)
9.11の同時多発テロが起こった際、アラブ系、イスラム系に向けられた差別、偏見、憎悪に対して、いち早く正義の声をあげた運輸長官のノーマン ・ミネタさんへのインタビュー。素晴らしすぎるミネタさんの行動。胸が熱くなりる!!!
IS HISTORY REPEATING ITSELF?(英語)
歌手のケイティーペリーがプロデュースした動画。
日系人の強制収容という差別と偏見による負の歴史が、イスラム教徒に対してまた繰り返されているというもの。ラストが衝撃だから是非是非最後の方だけでも見てほしい!
Kids Meet a Survivor of Japanese American Internment(英語)
この動画、8歳で強制収容所体験をしたsyokichiさんに子ども
がインタビューをするんだけど、すごく良かった!
偏見のない、子どもの素直な視点と意見ってやっぱりいいよな〜
このシリーズ、他もオススメ。