りょん日記

世界一周、はじめました!くう〜。の記憶を呼び覚ましつつ、日常のことも。

リトアニアはカウナスに。杉原資料館

前回ブログでリトアニアに上陸した私。

 

ryoko828m.hatenablog.com

 

 

カウナスティックな宿を出発し、向かう先まであと100m。

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宿から30分くらい歩いたかな?ようやく到着。

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ここは杉原千畝記念館「ちうね」と読みます。

もしかしたら名前は聞いたことある人もいるかもしれない。「日本のシンドラー」「命のビザ」とか。

 

6000人の命を救った日本通過ビザ

今、記念館となっているこの建物は、1939年にカウナスに領事館を立ち上げた杉原さんが実際に働いていた場所。

当時、ドイツとソ連の急激な領土拡大に世界中が目を見張っていたため、ちょうど真ん中に位置する独立国のリトアニアには、世界中の国が領事館を建てまくっていたらしい。杉原さんは表向きは外交官として赴任しましたが、主な活動は情報収集。要するに諜報活動だったといえます。

 

1940年7月18日早朝。

領事館の外に人が溢れかえります。彼らはヒトラー率いるナチスドイツの迫害から逃げてきたユダヤ人難民でした。日本に入国するために、杉原さんに助けを求めてやってきたのでした。彼らの残された唯一の方法は、

ソ連(モスクワ→ウラジオストック)→日本(敦賀)→アメリカなどの第三国

日本の通過ビザさえあればソ連に入国が許可されるため、これが最後の望みでした。

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しかし、通過ビザ発行には最終受け入れ国の証明書、旅費が必要ですが、ユダヤ人難民の多くがそれを持ち合わせていませんでした。また、当時の日本はドイツと日独防共協定していたため、ビザを発行すれば日本との関係が悪くなる可能性も否定できません。。。また、一緒にいる家族も危険に巻き込む可能性も大いにあります。これらの問題を踏まえつつも目の前にいる人たちを救おうと、杉原さんは日本政府にビザ発行の許可を求めます。

 

しかし答えはノー。

「ビザの発給条件を満たさないものにはビザを発給してはならない」

この回答に杉原さんは悩みに悩み、、、ついに決断をします。

「忘れもせぬ1940年7月29日から、1分間の休みもなく、ユダヤ難民のための日本通過ビザ発給作業を、開始した次第です」

苦悩の末に出した答えは「人道、博愛精神第一」でした。

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翌月の8月3日にリトアニアソ連に併合され、領事館の閉鎖も決まります。

杉原さんは領事館が閉鎖された後もカウナス市内のホテルでビザを書き、リトアニアを去る直前の電車の車窓からもビザを書き続けたそうです。 

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領事館閉鎖まで約1ヶ月の間で発行されたビザの数は2139。

それによって救われたユダヤ人は6000人以上。その子孫は今現在、世界中に20万人以上いるとのことです。

 

「私のしたことは外交官としては間違ったことだったかもしれない。しかし、私を頼ってきた何千人もの人を見殺しにすることはできなかった。大したことをしたわけではない。当然のことをしただけです」

 

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リトアニアを去った後も杉原さんはドイツの動向を探るために命がけで情報収集し、ドイツが独ソ不可侵条約を破り、ソ連侵攻準備を企てているという情報を掴みます。

その当時、日独伊同盟に加盟していたにもかかわらず、その事実を日本に知らさないドイツは危険であり、手を組み続けるべきではないと政府に訴えますが日本を平和の方向に導こうと働きかけることも虚しく、日本は第二次世界大戦へと突入していくのでした。

 

戦後、日本に帰国した杉原さんは外務省を退職。元同僚たちからはビザ発行で金儲けをしていたんじゃないかなどといった、根も葉もない噂がたったと言います。

杉原さんの純粋な行動が日本で認められるのはもう少し先の話でしたが、1969年にイスラエル政府からの招待を受け、勲章を受けます。(イスラエルは全人口の75%がユダヤ教)そして、1985年には同じくイスラエルより、「諸国民の中の、正義の人」を意味するヤド・バシェムを授与。そのよく年、1986年に鎌倉にて亡くなりました。

 

数年前からは杉原さんの生まれ故郷、岐阜県八百津町敦賀などを回る観光ツアーがイスラエル人に大人気なそうです。私もいつかいってみたい!

 

最後に、カウナスで出そうとして出しそびれたポストカード(左下)に当時の気持ちが書いてあったから抜粋。(右は早稲田の学生団体が作った杉原千畝本。すごくよかった!)

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杉原さんの話、すごく感動した!アウシュヴィッツ行って、人間てここまで残酷になれるもんなんだって思ったから、杉原記念館に行って、人をすくのもまた人だなって。

旅をしていてもそうだけど、やっぱり人って思う。

何をするか、何を見るかより、誰と共にすごすかってことが自分にとって一番大切だってわかったよ。  2017.05.01

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駆け足だったけれど、

いろんな歴史とヒーローたちにふれたヨーロッパ旅は大満足!

散りばめられていた点が線になる感覚がありました!!

 

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