魔法の言葉、ヌスヌス。モロッコ編はじまるよ〜!
ガーナの次に向かう先は、「モロッコ!」
モロッコ:2/13-2/24
ここだよー!ここ!
私のモロッコのイメージ=
「性転換手術」
これはね、多分漫画:シティーハンターからきているんだよ。主人公の冴羽獠が、「私、モロッコに行くわ!」的な発言をしていたのが覚えてて、「モロッコといえば性転換」っていうイメージが作られたんだろうな〜。気になってグーグル先生に聞いた。
wikiぺディアのページそのまま貼っとくけど、モロッコ在住のフランス人医師が世界で初めて開発したことが起因するらしい!日本で初めて性転換手術を受けたカルーセル麻紀さんもモロッコでこのフランス人医師の元、手術を受けたそうだ。
最高のフライト
ガーナのアクラ空港からはケニアのナイロビ空港を経由して、そこからモロッコへ飛ぶ。ナイロビでの乗り換えは2回目なので、プライオリティパスの使えるラウンジの場所もバッチリだ。だけど今回、飛行機の遅延、乗り場変更など、無駄にラウンジと乗り場を3往復くらいさせられた。空港職員が適当すぎてもう怒りMAXだし、不安だし、どんだけ歩かすねーん!キイーーー!ってなってると、ラウンジに日本人カップルらしき二人が入ってきた。
どちらともなく話しかけると、行き先はなんとモロッコ。
「そうなんです〜新婚旅行なんです〜」というボケをかましてくれた2人は大学の同級生(つまり友人同士)でモロッコで働くyukaさんと世界一周中のyuichiさん。ケニアで現地集合して一緒にサファリを見に行った帰りだった。関西人だったので打ち解けるのが秒。なんだか昔からの知り合いみたいな感じで、すごく居心地が良かった。ここだけの話、関西人に関西人っぽいと言われることを私は密かに誇りに感じている。笑
モロッコで働くyukaさんからはモロッコの話、オススメ観光地だけではなく、社会情勢や日本との関係、ヨーロッパ車メーカーが続々と工場を建てているとか、経済の話など、とにかく多岐にわたって教えてもらった。中でも天然ガスプラント建設計画の話はすごく面白くてワクワクした。
これはyukaさんが書いてくれた地図。めちゃくちゃわかりやすくて、この後の旅の計画を助けてくれた。
ケニアからモロッコへの直行便は2016年に就航したばかりであることを教えてもらった。ビジネス客を見込んで就航させたこのルートらしいが、私が乗った時は機内はガッラガラ。「席移動し放題」「横三席またがって寝放題」そんな感じだった。
だから真ん中の席に3人座っておしゃべり。
さすが関西人の2人。やりとりが本当に面白くて最高で、腹抱えて爆笑した。機内ガラガラだから誰にも迷惑かからない。
yuichiさんが、ずっと読みたいと思っていた星の王子様を持ってて貸してもらった。このタイミングで読めたのはマジで奇跡。思わず、メモ。
「いちばんたいせつなことは、目に見えない」
お返しにkindleに入ってるタラレバを、3巻からだけど。ちなみに今現在、私の旅の予算もシビアなとこになってきてて、食費を削ってタラレバ最終巻をダウンロードするかが悩みどころ。
それから、サキ先輩にもらった逃げ恥も機内でみた。yukaさんが急に止めたかと思うと、なんと第一話でミクリの伯母のゆりちゃんがモロッコ旅行のお土産でハリラスープとバブーシュという、モロッコの靴の描写が出て来たことを教えてくれた。全く気づかなかった!
そんなこんな、笑いあり、涙ありのROYAL AIR MAROCの8時間半のフライトはあっという間で、自分史上最高のフライトになった。
モロッコに対して性転換くらいのイメージしかなく、情報収集もほとんどしていなかったから、この出会いのおかげでこれからのモロッコ旅がすごく楽しみになった。
そして別れ際に、めっちゃ役に立つアラビア語教えとくってyukaさん。
「ヌス・ヌス」ってなんだか魔法みたいな言葉を教えてくれたと思ったら、
「カフェで言うとと、いい感じの割合のカフェオレが出てくれから」ってwwwwwwww
さらに、「モロッコ寒いから!」って、セーターまでくれた😂
唯一の3ショットはブレブレwwwwwww
山の民と遭遇
カサブランカの宿には一人、日本人らしき男性。何やらチクチクと縫い物をしている。
彼の名前は麦ちゃん。九州の山に住む陶芸家。山での生活は、五右衛門風呂に入ったり、川で洗濯したりとワイルドすぎて爆笑した。自然の中に生きている人なんだな〜っていう、なんだかゆったりとして力強いオーラのある人だった。今回はスペインでの展示会も兼ねて、モロッコに旅行にきたんだそう。
ご飯食べながら、モロッコといえばアルケミストだよねっていう話をした。そしたら、ヴァルキリーズという、アルケミストと同じ作者のパウロ=コエーリョの本をくれた。これがまた、、、、最高に面白い本だった。人との出会いも本との出会いもタイミングだなと思う瞬間だった。
こちらの、高速でモロッコ人男性の口に何かを放り込もうとしている男性が麦ちゃん。
彼のホームページも貼っとく。陶器の草木染めという、植物の灰から釉(うわぐすり)を作って、それで陶器を染めるというか、塗るというか、、、ちょっと素人の私にはこれが限界なんだけど、いつか実物をこの目で見てみたいと思ってる!!!きっと彼の人柄が出る、ゆったりと、そして力強い作品に違いない!
次の日は早朝から日本に帰る麦ちゃんを見送って、私は電車で『マラケシュ』を目指すことに!
ガーナ体験記:その2
ガーナ:2/5-2/12
ガーナ体験記:その2
事前にガーナで何したい?と聞いてくれたサキ先輩。
私のガーナ体験その2!を書くぜーい
イクティーこと、生田先生に会いに行く!
クマシと首都のアクラの間のピン指してるところが、サキ先輩の住んでいるンサワン。
グーグルだとサワンだけど、確かにNsawanでンサワン。今度しりとりする時は奥の手として使おう。
クマシという町にはサキ先輩のJICA同期、生田先生が住んでいて、突撃お宅訪問をさせてもらうことに。イクタティーチャーだから、イクティーの愛称で親しまれてる生田先生は中も外もすごく若々しくて、「お兄さんみたいな感じの人」って先輩が言ってた通りの人だった。突撃隣の晩御飯!ではカレーと、愛知出身ならではの味噌田楽をご馳走になった。ちなみに私が愛知県民にあった時は必ず、「ナカモのつけてみそ♪かけてみそ♪」の歌を披露して距離を縮めようと試みている。これは愛知県在住のニカワさんという、いつもポジティブな言葉をかけをくれる、私にとって幸運の女神みたいな友達から伝授してもらった。
もちろん今回も、一気に心の距離を縮めることに成功した。(と思っている。)
JICAでは、青年海外協力隊とは別に、専門性を持つ経験豊富なシニア海外ボランティアも募集していて、生田先生はクマシにある教員養成の女子大で理科の授業を教えている。物資の少ないガーナでは、実験室そのものがなかったりで講義が中心の授業がほとんどなそうなんだけど、身近な材料を使って工夫すれば楽しい実験の授業ができる!ということを未来のガーナの先生たちに、実験を中心とした授業を通して教えているそうだ。
残念ながら訪問時はテスト期間中のため、授業は見れなかったんだけど、いつもFB越しに実験の様子を拝見させてもらっている。私も楽しい実験の授業を受けていたら今頃理系女になれてたかもしれない。。。!
唐突だけど、実は私、元々教員志望。
(中高英語の教員免許持ってるんだぜー!いえーい!根は真面目キャラを裏付ける事実ですな。
どこをどうして今パナマにいるかは飲みの席ででも聞いてくれ!)
そのため教育関連の話題は今でもすごーくとっても興味がある。派遣前までは日本の中学校の先生だった生田先生から 日本の学校で起こっていること、ガーナの教育事情などをたくさん聞くことができて、すごくすごく勉強になった。今すぐってわけじゃないけど、教育に携わる仕事はいつか就いてみたいなと思ってる。
西アフリカ最大のマーケット
次の日は生田先生にクマシのマーケットに連れていってもらった。このマーケットは西アフリカ最大規模。とにかくデカかった!そして活気というのか、カオスな感じが凄まじかった。この雑多でエネルギーに溢れている感じ。緊張感を持ち続けないとリヤカーに轢かれるかもという恐怖。旅してる!っておもう!
ごちゃごちゃ。これはほんの一部。
ガーナ全体、特にクマシでは、まだまだ土着信仰も根強く、"呪い"グッズのお店なんかもあったから面白い。猿の頭の骨とかよくわからないけど不気味なもん売ってた。にしても頭にそんなに重いもののせて、、、すごいよなあ。
こちら生田先生^^クマシの町に負けないくらい、エネルギッシュ!
「コーンローにしたいんだよね〜」って言ってたこの時から数ヶ月後にFBみたらホントにコーンローになっててびっくり。笑
私の大好物:プランテーン
主食バナナって言われてて、日本ではあんまり見かけないかも。基本は生で食べるんじゃなくて、焼いたり煮たり揚げたりする。アフリカや中南米ではよく見かける。初めて食べたのは高校生の時、両親がナイジェリア人の日本生まれオムちゃんが学校に持ってきてくれた。お芋みたいで美味しかったっていう記憶。その次にプランテーンと再会したのは確か留学中に遊びに行ったマイアミ。カリブ海に面しているからカリブ料理のレストランが多くて、やっぱりこのプランテーンという食べ物、マジで美味しいって再確認した。その他の料理もめちゃくちゃ美味しくて、カリビアンレストランを日本で必死に探したんだけど見つからず。。。
どなたか日本でカリビアン料理が食べられるレストランを知っていたら教えてください!!てゆーか一緒にいこ?
プランテーンはね、青い状態で調理するとお芋みたいな感じなんだけど、熟した後に加熱すると酸味と甘みが絶妙なんだよこれが!!!!ガーナでは素焼きを道で売ってるから、見つけるたびに買って食べてた。今現在パナマでも、八百屋で買ってきて食べてる。マジで最高。
道路で物を売る人たち
道路には様々な商品をぶら下げた商人たちがスタンバイしていて、赤信号で車が止まると近寄ってきて物を売ろうとしてくる。前回ブログのメイドインガーナのチョコもそれで買った。お菓子とかはわかるけど、、、、
ルービックキューブって、需要ある?
信号待ちしてる時にルービックキューブ買う人っている?
ガーナで一番感動したこと。
ガーナ滞在中、先輩と同じくらいお世話になったのが、先輩の彼氏。至れり尽くせり、何から何までありがとうございます!って感じだった。しかも超絶素敵な方で、色々詳細を書きたいんだけど、某企業にお勤めのため個人が特定されるとまずいかもなので書きたくても書けなくてウズウズしてる。なのでここでは名前も先輩の彼氏、略してセンカレさんと書かせてもらうことにする。
ガーナで働くセンカレさんはバリバリのビジネスマンで、私の素朴な疑問に丁寧にとってもわかりやすく答えてくれた。しかも先輩のことをめちゃめちゃ愛してるのがひしひしと伝わる。思わずバスケ部同期のまいぽんにセンカレさんの素晴らしさをラインした。笑
土曜日の昼間、先輩は会議があったため、センカレさんがガーナの国立公園に連れて言ってくれた。
鷲のマークの大正製薬風なのは私だけで、公園職員さんは超余裕そうなのが伝わるだろうか。
そして登った先には絶景!
公園職員さんと!
そして、どうしてもここ、ガーナでやりたかったのがコレ。ムービーみてね!
ガーナでガーナ人と"ニャホニャホタマクロー"を歌うこと。夢が叶った!😂
サキ先輩を始め、先輩の彼氏さん、生田先生、イマニエル兄さんにホストマザー、義肢装具センターの職場の方々に本当によくしてもらってなんとも贅沢なガーナ旅になった。本当に感謝しきれない。
そして、高校生以来会ってなかった先輩と再会し、アツい話ができたことがとても嬉しかった。そして先輩は「真新しい出会いよりも古い出会いが再開した時の方が嬉しいかも!」というとっても共感できる嬉しい言葉をくれた。これもまた旅がくれた宝物。
そして、最高に贅沢でたのしかったガーナ滞在で、これ以上感動することある?ってあるんかーい!的な一番感動したことは最後の最後にやってきた。
センカレさんに、
「本当に本当によくしてもらって、ありがとうございました!」
って感謝を伝えると、
「こちらこそ、リョウコさんのおかげで普段見れないサキさんの先輩としても一面を見ることができました。ありがとうございます。」
って。
本当に相手のことを想っていないと出ない言葉だとおもう。こういう、人と人との心の深いところでの繋がりを垣間見る度に、やっぱり人生って最高にステキだ!って素直におもう。そして、”大切な人を大切にして生きる人生”が最も価値があって尊いものだという想いが確信になっていく。
人として尊敬できる、愛溢れるとってもとっても素敵な2人にはこれからも末永く幸せでいてほしい。
ガーナ体験記:その1
ガーナ:2/5-2/12
ガーナ体験記:その1
事前にガーナで何したい?と聞いてくれてたサキ先輩。
私の滞在に合わせて周囲の方々に声をかけて頂き様々なガーナ体験をアレンジしてくれました♡
ガーナの郷土料理を食す
先輩の元ホームステイ先のママさん宅にガーナの郷土料理、”ふふ”をいただく。
トウモロコシの粉を溶かしてこねて粘りを出したもので、、、すいとんの超絶でかいバージョンみたいな感じ。
「それでは、早速頂きたいと思いまーす!」
「そうですね、めっちゃ柔らかいすいとんみたいな感じですかね。思ってる以上にトロッとしてます。これ自体はあんまり味がしないんですけど、トマトベースのスープが魚の出汁と唐辛子が効いてて美味しんですよ〜!」
「でも不思議とですね、なぜか食べても食べても減らないんです!」”ふふ”恐るべしだ。
先輩の元ホストマザーのお家は小さい商店をやっている。
これが店内なんだけど、先輩の右、小分け包装の商品量にお気づきだろうか。
たまごボーロとか!きのこの山・たけのこの里が交互になってる4袋セットみたいな。
(昔コアラのマーチの四連になってるやつ、チョコ、ストロベリー、チョコ、ストロベリーのやつがパッキングミスによって全部ストロベリーだった事をまだ根に持ってるのは私です。)
この小分け包装、BOPビジネスの手法の一つらしい。BOPって、bottom of the pyramid の略で所得階層の底辺に位置する低所得者である年収3000米ドル(今だと日本円で33万)以下で全人口の7割もいるらしい)を指して、彼ら向けのビジネスをBOPビジネスって言うんだって〜!初めて知った!
そんで、BOPビジネスの代表的な手法がこの小分け包装の商品展開。単価を下げる事で手を届きやすくしてるそう。
だからコアラのマーチの四連のやつ四袋全部買うんじゃなくて、チョコを1袋買おう!みたいなこと。だからその1袋がストロベリーだったらさすがに交換してもらいにいくわな。
お給料も日払いが多いし、銀行口座も持ってない人がほとんどだから、お金をためてまとめ買い!みたいな発想にもならなくて、大体はその日に使う食材や調味料を買うんだそう。調味料のほとんどはお弁当用みたいな1回使い切りサイズで売ってたもんなー。
ガーナの水
ガーナでは飲料水はビニール袋に入って売ってる!もちろんペットボトルもあるけれど、こちらは庶民の味方^^歯でちぎって、ビニールの切れ端をみんな道に「ペッ」って捨てるのがガーナ式らしい。。。ちなみに運が悪いと水がビニール味ですごく残念な気持ちになる。
ガーナで農園見学の巻
それから、農園を見てみたいという私のリクエストで、近所のイマニエルさんを紹介してくれた。
イマニエル兄さんはパパイヤ農場を持ってて、それをドイツに輸出してるんだって!
バイクに乗せてもらって、しゅっぱーつ!!
最初はお姉さんの家に。主にパームツリー(アブラヤシ)からパームオイル、パームワインを作っているそう。化粧品とかでもパームオイル配合とか聞くよね!
こちらがアブラヤシの木。わかりにくい写真で申し訳ない。
ちなみにココナッツはココヤシで別物。
アブラヤシの実はこの赤い実。
一見心を開いてくれてなさそうな男の子ですが、
この直後の写真がこちら。
この写真はガーナで一番のお気に入り!
枯れた木はなぎ倒すと樹液が取れるらしく、そのままでもアルコールが含まれてるとか。。。
そしてその樹液をさらに蒸留させることで、強いお酒を作っているんだって!
そしてこちらがイマニエル兄さんのポポ畑。
決してイマニエル兄さんがミスターポポ似とかそう言う話をしているんではなく、ポポはガーナ語でパパイヤのことなのだ。
パパイヤ大好きな私のオススメは絶対にレモン果汁をかけて食べること!!日本じゃ冷凍パパイヤですら恐ろしい値段で売っててとても手が出ないんだけど、暑い国に行った際は是非パパイヤにレモンを絞って食べて欲しい!!!!!
イマニエル兄さんの兄さん宅へも連れて行ってくれて、
ビックブラザーが「ココナッツ食べる?」って聞いてくれた。
すると、、、
わーお!!!!笑
ワイルドすぎるぜwwww
まさに私の理想の男性像である、「無人島でも一緒に楽しく暮らせそう!」な人にぴったりだ。
気になるチョコレート事情
ガーナといえばやっぱり気になるチョコレートの話。
もちろんチョコレートの農場へも連れて行ってもらっちゃいました!
ガーナ行ったのはバレンタインちかくだったの。もはや5ヶ月前の話、、、なんか、旅行中にちゃんと書き終わるのか本気で不安になってきたぞ!w 果たして追いつくのかな!!!!最後は日本帰ってきました!みたいな感じで行きたいんだけど、、、、!!!
じゃあ気を取り直して頑張ろうじゃないの!
こちらチョコレートの原料であるカカオの木。
幹に実がなるって、なかなか斬新じゃない??
とれたてカカオ豆。この白い部分、カカオパルプというらしい。これがさ!なんとも甘酸っぱくてフルーティーでびっくりするくらい美味しいのさ!!!!!!
これで商品開発とかすればいいのに!って思ったけど、このカカオパルプに包まれた状態でバナナの皮に包んで発酵させないとチョコレート味にはならないらしい。
カカオ豆。まだこの状態だと苦いだけであんまりチョコレート感はしなかった。
このカカオ豆を発酵させて乾燥させたものがこちら。
これはもう結構チョコレートの味がした!!!
この状態で輸出されるそうなんだけど、、え?この量でそんなに安いの!?という値段だった。カカオ豆の買取価格は固定されているんだって。この農家も家は土壁だったし、生活水準は決して高くないことが一目瞭然だった。
ガーナで唯一の国内ブランドのチョコレート。
ざらっとした舌触りでそんなに甘くもない感じ。おいしいはおいしいけども。的な味だった。
電力不足や気候の問題でガーナ国内でカカオをチョコレートにする工場を作るのはまだまだ難しいようだ。
それにしてもイマニエル兄さん、他にも友達のとことか親戚のとことか色んなところに連れて行ってくれて、本当に感謝しかない。
そしていく先々のガーナの人たちが本当に親切でフレンドリーで、すごくありがたくてあったかい気持ちになった。
最後に、最近テレビで見なくなったとにかく明るい安村に会った時の写真載せとくー!
安心してください。はいてますよ。
ガーナで働く理学療法士に密着!
ガーナ:2/5-2/12
8年ぶりに再会を果たしたサキ先輩。
先輩は青年海外協力隊で理学療法士として、ガーナのOrthopedic Training Center(義肢装具リハビリセンター)という場所に派遣されている。
義肢装具って聞きなれない言葉だよね、、、
義肢は失われた体の部位を補う義足や義手などを指して、
装具は機能低下した部位を補うコルセット等を指すみたい。
大阪に住んでた時によく行ってた立ち飲み屋の常連さんが、義足を作る職人さんだったことを思い出したぞ。得一のみなさんは元気だろうか。。。
得一・土居店(谷町線太子橋今市駅・京阪だと土井駅)にはマジで行った方がいいよ!!!!メニューの豊富さとコスパにビビるよまじで!!!!そして何より店長がハイパー面白い。
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ではでは先輩の日々の活動を写真と共にお届けするぜー!
忙しい中職場を見せてくれた先輩、改めて感謝です!!!
入院患者さんたちにストレッチ指導。
私も一緒にやったけど、体硬すぎて終わった。
円になってストレッチやるなんて、部活を思い出すー!
入院している赤ちゃんの診察。ミルクあげたりする関係もあって、お母さんも一緒に入院そてるそう。
入院患者のほとんどはクラブフットと呼ばれる、先天的に足が曲がっている病気の患者がほとんどみたい。日本語だと先天性内反足(ないはんそく)っていうらしい。
併設の義足の工場へ
先輩はどこ行っても人気者。
幼稚園から小学校くらいの年齢の入院患者の子どもたちのリハビリ。
足がなくったて手がなくったてみんなめちゃくちゃエネルギッシュ!
新しく届いた車椅子の調整もする。
足りない部品をもらいに職人のところへ。
先輩独自に車椅子の寄付を日本の病院や企業に募り、見事に寄付が実現したそう。
別日には地元コミュニティの巡回診療に同行させてもらった。
この日は近くの病院に勤務するガーナ人の看護婦さんとも一緒だ。
このコミュニティの巡回診療は、先輩の言葉を借りると、
”最も日の当たらない人達”にリーチ出来ていないという疑問から始まったそう。
そもそも病院に行くのにはお金がいるし、日本もそうだけど、公的なセーフティネットにアクセスするにはある程度の教養も必要だよね。まず、助けてもらえる仕組みがあることすら知らない人たちっていうのが絶対に一定数いるし、自分の生活が普通って思っている人も少なからずはいるんじゃないだろうか。
そんな人たちが、地域に埋もれているのでは!?という疑問のもとに始めたコミュニティ巡回診療。最初は保守的な現地スタッフの反感も強く、半ば強引に開始。
するとやはり、日本では考えられないような現実を目の当足りにしたそう。
就学年齢にも関わらず、一日中地べたに、しかも家畜と一緒に座って過ごす子ども。
知的障害が原因でコミュニケーションが取れず、それが理由で殴られ続ける子ども。
日本であれば間違いなく虐待であるけれど、ガーナにはそれを受け入れる機関もサポートするシステムも整っていないのが現状。
そんな現実を目の当たりにして、「いったい自分には何ができるのだろうと」自問自答。葛藤の日々が続く。
だけれども、先輩が心に決めたこと、
それは、
ここ足を運ぶことをやめないこと。とにかく地道に、継続して活動をして、親の言葉に耳を傾ける。
根気強く活動を続けたことで、
コミュ二ティ内では歩けなかった子が歩けるようになったこと。
学校に行けなかった子が行けるようになったこと。
座れなかった子が座れるようになったこと。などなど。
先輩が施設の外に出なければ、埋もれていた命の輝きがいくつもあることを教えてもらった。
それから先輩は、巡回診療で見聞したものをセンター内で積極的に発表することで少しずつ少しずつ、活動の賛同者を得たそう。
ちょうど私が滞在していた最中に、活動した結果が実りつつあるような話を聞くことができた。
そしてついに!施設のディレクター、広報担当、外部コンサルからの後押しでコミュニティ巡回診療を正式に施設の事業として取り組むことが決まったことを、つい最近の先輩のFB投稿で知ることができた。つまり先輩が日本に帰国しても続けられるということ。
先輩と歩いてると、地域の人、職場の人にどれほど愛されているのか、どれほど信頼されているのかが手に取るようにわかる。
それは先輩が赴任して以来一貫して、
”地域密着”をモットーにしているからだ。
現地の人と同じものを食べて
現地の人と同じところに住んで
現地の人と同じ生活をする
言葉にするのは簡単だけれど、それをアフリカの田舎で実践することがいかに大変かは想像に難しくない。断水した時には頭にバケツ乗せて水を運んだ話も教えてくれた。
それも全て、自分の任期中にどれだけガーナの医療に貢献できるかという使命感と覚悟からくるものであることを感じた。
先輩と話す中で何度か出てきた、
「無駄なことをやってる、そんな時間は私にはない!」
っていう言葉がすごく印象的だった。
先輩はJKの時からなんか一人、全体を俯瞰するような、10代の女の子にはない何か特別な落ち着きがあったと思う。
毎度練習メニューに対してぶーたれていた大多数の部員(もちろん私も)とは違って、言われたことをきっちりと黙々とやるというのが先輩の印象。その、ブレないところというか、芯の強さがずーっと変わらない先輩の魅力なんだなと改めて思った。
ガーナの話、もっと気になる方々!先輩が寄稿してる記事があるから是非是非読んでほしい。
【世界中で活動する日本人が繋がり、伝え、共鳴する:W.W.J PROJECT】
【 PT・OT・STの働き方発見サイト:POST】
そして我らが!
【神奈川県】のホームページにも。
(住民票大阪に移しちゃったけどね!でももはやそれもないけどね!だって私は宇宙船地球号の仲間だもん!😊ありがとうございました。)
私の代の部活の同期も後輩も理学療法士になってるし、高校で運動部入ってる子の1割くらいは理学療法士になってるのでは?!もし進路について考えている高校生とかいたら、ぜひぜひ先輩の記事を紹介してほしい!!!
ガーナに行くの巻!
皆様、へぇ〜ボタンのご準備はよろしいですか?
ガーナのサッカー協会会長の名前は、ニャホニャホタマクロー。
94へぇ
いやーっ!懐かしい!!😂
そうなんです。タイトル通り私の次の行き先はチョコレートでおなじみのガーナなんです。
12カ国目:ガーナ
2月5日ー2月12日
でもガーナチョコってちょっと甘すぎない?やっぱりMeijiのが個人的には好き。
それからもっと言わせてもらうと、私は「たけのこの里」より「きのこの山」派なのさ。
さらに言うとカントリーマァムはバニラじゃなくてチョコ派なの。
つまりすごいマイノリティ。
未だ嘗て「きのこ・チョコ」派にまだ会ったことがない。
私調べだと大多数は「たけのこ・バニラ」派。
「きのチョコ派」で何かと肩身の狭い思いをしていたみんな!今こそ立ち上がろうじゃないか!!!!!
・・・・
話をガーナに戻しまして。
私もガーナ行きを決めてから知ったんだけど、世界の医学に貢献してガーナで亡くなった超有名な日本人の存在。
みんな一日一回は見てる!はず!!!!
誰でしょーーーーーーーーう!!
thinking ターイム!
・・・・・・・・
正解は!こちら!どーん!
野口英世!!!
諭吉と答えたあなたはおバカかセレブのどちらか♡
てかFBでシェアしたら思いっきりこの写真出てるじゃん。。答え出ちゃってるじゃん。。。
ガーナはこの旅で唯一日本でのビザ取得が必須で、尚且つビザの発行には黄熱病の予防接種が必要。
ちなみに野口さんは黄熱病の研究のためにガーナのアクラ(首都)に来て、研究の最中に黄熱病にかかって亡くなったそう。
でで、ガーナはビザ発行から3ヶ月以内に入国する必要があってそれでもって出国のチケットもいるっていうから、よし!出発だ!!!って思ってた日をややオーバーする羽目になった。(完全に自分のリサーチ不足)
まだ航空券の取得にもルートの計画にも慣れてない私にとっては出発前にしてややハードルの高いミッションだった。
ちなみに西麻布にあるガーナ大使館でビザの発給を行う査証部は火・木の午前中にしかやっておらず、火曜申請で木曜の午後受け取り、木曜申請で火曜の午後受け取りが基本。プラス3000円でその日の午後にもゲットできるよ!
やや難易度高めのガーナになぜ行くかって!
インスタの野口さんの写真でお気づきかと思いますが!
今度は高校バスケ部の先輩である、サキ先輩に会いに😆
アクラ空港に迎えにきてもらったその足で、コレブ病院内にある野口英世メモリアルに連れてってもらいました。
高校バスケ部の先輩とは卒業以来疎遠で、以来一度も会ってない方がほとんど。サキ先輩もその中の1人だった。
先輩がガーナ行くことは知ったのはたしか2年ほど前。同じくバスケ部同期のまいぽんが教えてくれた。
市役所勤めのまいぽんが、「サキ先輩の名前、市の青年海外協力隊の壮行会の名簿で見たよ!」って。
その時は2人ですごいねー!って話すだけで特に連絡を取るわけでもなかったんだけど、いつだか先輩の名前がFBの知り合いかもに出てきて、友達申請させてもった。
その後はちょこちょこ、先輩のガーナ生活をFBを通して垣間見る感じだった。
月日は流れ、またも縁を運んできてくれたのはやっぱりまいぽん。
去年の9月にめでたく結婚する彼女へのサプライズムービーを集めるべく、まいぽんのジモティーから、私は高校担当を任されたのだ。
FBで高校関係者に一斉送信。
律儀にもすぐに返信をしてくれた一人がサキ先輩だった。
「まい、私のこと覚えてるかな?笑」って。笑
「もちろんです!実はまいから先輩がガーナにいることも聞いてて、カクカクシカジカ。
実は私退職して旅に出ようと思っていて、カクカクシカジカ。」
すると、
「ガーナ来なよー!」って。
正直アフリカ行くのはビビっていて、まるっと飛ばしてもいいかなー?なんて思っていたから、こんなに嬉しいお誘いはなかった。
アフリカ飛ばしてたらルワンダのはるちゃんにも会えてないしね。
卒業以来、8年ぶりの連絡でまさかの展開。
当時から特別親しくさせてもらっていたわけでもないし、8年ぶりの再会がお宅訪問だなんて。さすがに軽いノリすぎるような気もしなくもなかった。
だけどそこは見切り発車常習犯の私、気づいたらもう、
行きたいですーーーー!って返事してた。笑
深く考えもせずに行きたいです!と言ったことへの僅かばかりの後悔は、
「体力と好奇心とパスポートだけでおっけーよ!」の一言で打ち消された。
これが私がガーナ行きを決めた理由。
新たな関係のはじまり。
ルワンダ:1月28日ー2月4日
ルワンダは「千の丘の国」って言われるほど小さな山や丘が国中に広がっていて、私の〜お墓の〜ま〜えで〜泣かないでください〜って脳内再生が始まったかと思えばすかさず別の自分が「それは丘じゃなくて風!」ってツッコミを入れるっていうのがの日課になっていました。え
ど田舎!と思っていたルワンダは、しょっぱなからその景観に驚かされたけど、 更にマリオットホテルあったり、
普通にスーパーがあったりって、もうびっくり。
もちろんイメージ通りの部分ももちろんあったけど、なかなかの衝撃だった!
それから素敵なカフェ、Question coffeeを発見。
HPによると、コーヒー業界の現状は決して持続可能というわけではないみたい。それは全世界の8割のコーヒーを生産するのは小規模農家で、そのほとんどは高齢化が進んでるし、コーヒー豆が安価で取引きされるため、農場の維持が難しくなっているんだそう。若者にとってコーヒー農家が夢ある仕事にならない限り、一体誰が未来のコーヒーを育てるんだーーーー!!!的なことが書かれていた。(ryonko翻訳なので悪しからず)この現状をビジネスの力で変えようというのが、Question coffeeのようだ。
”Question Coffee™ is not about one company, or even one industry. It’s about a simple question that has the power to transform business for the better.”
このロゴ、コーヒーカップを真上から見た感じになってるのだ!
ほんで、どこの国でも外せないのは市場!やっぱり市場、すっきやわ~!
お気に入りの一枚はこちらの人参おばさん!
続きましてはキガリ市内で女性の雇用創出をしているNGOが主催するお料理教室へ。
皆さまお待ちかね!
「世界のどこかで花嫁修行
~アラサーりょうこのグローバル婚活日記~」はじまるよ〜!!
うん、
この感じのブログだと、流行らせる自信あるわあ。笑
世界2周目することになればこれやるね😇
ここのNGOはルワンダの布を使ってアパレル製品の製作をしているんだけど、
働いてる女性の表情がすごーーーーく明るくたのしそうだったのが印象的だった!
噂のバイクタクシー、MOTOにもチャレンジ。
無事に目的地にたどり着けた記念の一枚。笑
現地価格まで交渉できたことに先輩からお褒めの言葉をいただいた!笑
大阪生活と今までの旅で私の交渉スキルは大分上がったようだ!
街ブラしてからMOTOで来たのはこちら!上の扉に注目!!
そうなんです。これが先輩と旦那さんが始めた日本食レストラン、Japanda!!
このジャパンダ、何を隠そうルワンダの日本人による日本食レストラン第1号なのだ!!!!!!!
♡FBページ見てね見てね♡見てね♡
https://www.facebook.com/japandaltd/
私が食べたのがこちらー!Teriyaki-don!!!ドーンドーン!
う、うまい!うますぎる!!!!
炭火で焼いた鶏肉が最高。炭火焼きって、すごい贅沢じゃない!?でもルワンダ人からしたら庶民的だから最初は従業員にも驚かれたんだって〜。贅沢と豊かさの価値観の違い!面白い!
ジャパンダのすごいところは使用する食材は全てルワンダ国内調達してるってとこ。それでこの味のクオリティは本当にすごい。
なんで国内調達にこだわるかって、それは、ジャパンダがジャパンダを通してこの国で1人でも多くの雇用を生むこと、ルワンダの発展に貢献する事を目的としているからだ。
”材料がわたしたちのもとに届くまでに携わるルワンダの人々が多ければ多いほどこの国の底力になると期待しているからです。”
とっても痺れるジャパンダの理念。痺れた!!!
ところで先輩、なんでまたアフリカに?
色々理由は聞いたのだけど、私が一番印象に残ってる言葉がこれ。
「アフリカの現状を知ってしまって、そのまま自分さえよければで生きていくことはできなかった。」
「自分のやろうとしてることは、微々たるものなのかもしれないけれど、日本にいて国際協力に関わるよりは、現地でやる方が今の自分には納得ができる生き方だった。」って。
何となーく、国際協力だとか途上国のビジネスに関わる人ってすごく高尚な精神の持ち主で自分とは心のレベルが全然違う、遠い人にしてたけど、先輩の話を聞いていると、いい意味で変に肩肘張ってなくて軽やかにただただ理想の生き方を選んでるだけな感じがして、あれ?そんなに遠くないかも?好きの延長でルワンダ来ちゃったって感じ?うーん!アフリカに住むのも無しではないかもな!と思えるようになった。
もちろん先輩のルワンダ生活の中には綺麗事だけじゃない、悔しい思いもめちゃめちゃしてる。驚く話もたくさん聞いたし大変な思いもいっぱいしてるんだけど、それでもルワンダに対してポジティブなイメージを与えてくれて、選択肢や視野を広げてくれたのは、やっぱり先輩自身の魅力とルワンダへの愛なんだと思う。
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1週間のルワンダ滞在はとーっても有意義なものになった。
先輩と四六時中話ができて、旅に出なければこんなにたくさんの時間を共に過ごせなかったと思うし、ルワンダで得た気づきもなかっただろうから、改めて旅を決めた自分に、陵南戦で魚住のファールを誘った花道ばりのファインプレイだと言ってやりたい。だけどそれ以上に、ルワンダで会えると当たり前に思っていてくれた晴子先輩に、「大好きです 今度は嘘じゃないっす」って伝えたい。
そして最終日には更に嬉しい出来事が。
空港で食べれるようにと持たせてくれた梅しそチャーハン。添えられていた手紙には、
「先輩後輩これにて終了!これからは、はるちゃん・りょうちゃんでいこうね」って。
大好きで尊敬していた人に認めてもらう嬉しさ。
ああ、また人生のご褒美をもらってしまったなあ〜。しみじみ。
にしても11年前の2人、すげー田舎の中学生!顔パンパンだし真っ赤!笑
あの頃に比べたら私たち、随分イイ女になったよね?笑
子どもは国の宝
ルワンダ:1月28日ー2月4日
飛行機が少し早くついたのと、想像以上に簡単な入国審査だったため、約束の時間より1時間ほど早く空港の外に出ることになった。
というのも、ルワンダの空港は小さすぎて、到着ロビーのようなものがなかったから。
空港の外に出ると湿気を帯びた空気に迎えられたのを覚えてる。
暑っいところに来てしまった!
そして、1年半ぶりに先輩と再会。息子のレイくんとは初対面!
ルワンダの首都、キガリの街を車で通って先輩の家まで。
途中、街並みが想像以上に綺麗でびっくりした。
ここ、アフリカなの!?
ルワンダの街並みが想像以上に綺麗でびっくりした。
アフリカのイメージと全然違う。
ゴミも全然落ちてない!ポイ捨て罰金制度アリ!
あー!なんか思い出したぞ、この感じ。
あれだ!シンガポールみたい!
って思ってたら、本当にルワンダはアフリカのシンガポールを目指しているらしい。
それから、毎月最終土曜日は「ウムガンダ」と呼ばれる社会奉仕活動の日になっていて、自分の住んでいる地域の清掃とかすることを先輩が教えてくれた。
いろんな発見があったけど、中でも感動したのが子どもに対する接し方。
ゆーたらあれだ、「国民総子育て国家」「子育て大国ルワンダ」って言いたいくらい。
先輩と息子のレイくんと3人でお出かけしてすぐに、
「ルワンダはある意味子育てしやすいよ〜」の意味がわかった。
バスに乗ると、すぐに誰かが
「ここに座りな!」
「抱っこしとくよ!」
「今何歳?可愛いわね〜」
と子連れの晴子先輩に話しかける。
あれ?さっきまでご機嫌だったのに。笑
泣いたり、笑ったり、あくびしたり、大忙しだ!
ローカルバス内はこんな感じ^^
まだルワンダに来て1年半ほどなのに現地語も使いこなす先輩はさすがだ。すぐにママトークを始めてる。
隣のおばちゃんがアボカド食べてるの見て、
「一口この子にもらってもいい?」だなんて普通聞けないよね。笑
こちらは道でアボカド売ってるおばちゃんとの一コマ。
この男の子も最高に可愛かった!
ルワンダは子どもに向けられる眼差しがすごくあったかい。
泣いてたって嫌な顔する人もいなくて、子どもがそこにいるだけで場の雰囲気がぱあっと明るく、あったかくなるのを感じた。
いいよな〜その感じ。
それがあるべき姿でもあると思うんだよな〜。
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「ルワンダ人にとって子どもは国の宝。自分の子も他人の子も関係ないよ。みんなルワンダの子どもなんだよ。」
そう話してくれたのは、ローカルツアーに参加した際にアテンドしてくれたルワンダ人の青年。
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1994年4月。世界を震撼させたルワンダで起こった大虐殺。100日間で50万人から100万人のツチ族がフツ族によって殺されたと伝えられている。
この大虐殺からまだ23年しか経過していないのだけど、少なくとも私にはその傷跡や悲劇の片鱗は、「アフリカの奇跡」と呼ばれる復興を果たしたルワンダの街からは感じ取ることはできなかった。
キガリの街から少し離れた場所にある、Kigali Genocide Memorial (キガリ虐殺記念館記念館) を訪れたのローカルツアーに参加した2日前。ここでは虐殺の歴史を写真や映像を通して学ぶ事ができる。
キガリ虐殺記念館 口コミ・写真・地図・情報 - トリップアドバイザー
事前にホテルルワンダを鑑賞していたので英語だったけど割とすんなり内容を理解することができた。
館内にChildren's roomという、展示があった。
殺されたツチ族の子どもの生前の写真と共に、その子の好きな食べ物、得意なこと、将来の夢などの説明書きが加えられていた。
この子は生きていたら調度私と同い年くらいかな。
そんな事を思いながら写真を一枚一枚みて回り、心がずしりと重くなるのを感じた。
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「子どもは国の宝」
記念館を訪れていたから、その青年の言葉をより一層深く受け止めることができたんだと思う。
この子らが大きくなる頃は、ルワンダはどんな国になってるんだろうか!