ガーナで働く理学療法士に密着!
ガーナ:2/5-2/12
8年ぶりに再会を果たしたサキ先輩。
先輩は青年海外協力隊で理学療法士として、ガーナのOrthopedic Training Center(義肢装具リハビリセンター)という場所に派遣されている。
義肢装具って聞きなれない言葉だよね、、、
義肢は失われた体の部位を補う義足や義手などを指して、
装具は機能低下した部位を補うコルセット等を指すみたい。
大阪に住んでた時によく行ってた立ち飲み屋の常連さんが、義足を作る職人さんだったことを思い出したぞ。得一のみなさんは元気だろうか。。。
得一・土居店(谷町線太子橋今市駅・京阪だと土井駅)にはマジで行った方がいいよ!!!!メニューの豊富さとコスパにビビるよまじで!!!!そして何より店長がハイパー面白い。
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ではでは先輩の日々の活動を写真と共にお届けするぜー!
忙しい中職場を見せてくれた先輩、改めて感謝です!!!
入院患者さんたちにストレッチ指導。
私も一緒にやったけど、体硬すぎて終わった。
円になってストレッチやるなんて、部活を思い出すー!
入院している赤ちゃんの診察。ミルクあげたりする関係もあって、お母さんも一緒に入院そてるそう。
入院患者のほとんどはクラブフットと呼ばれる、先天的に足が曲がっている病気の患者がほとんどみたい。日本語だと先天性内反足(ないはんそく)っていうらしい。
併設の義足の工場へ
先輩はどこ行っても人気者。
幼稚園から小学校くらいの年齢の入院患者の子どもたちのリハビリ。
足がなくったて手がなくったてみんなめちゃくちゃエネルギッシュ!
新しく届いた車椅子の調整もする。
足りない部品をもらいに職人のところへ。
先輩独自に車椅子の寄付を日本の病院や企業に募り、見事に寄付が実現したそう。
別日には地元コミュニティの巡回診療に同行させてもらった。
この日は近くの病院に勤務するガーナ人の看護婦さんとも一緒だ。
このコミュニティの巡回診療は、先輩の言葉を借りると、
”最も日の当たらない人達”にリーチ出来ていないという疑問から始まったそう。
そもそも病院に行くのにはお金がいるし、日本もそうだけど、公的なセーフティネットにアクセスするにはある程度の教養も必要だよね。まず、助けてもらえる仕組みがあることすら知らない人たちっていうのが絶対に一定数いるし、自分の生活が普通って思っている人も少なからずはいるんじゃないだろうか。
そんな人たちが、地域に埋もれているのでは!?という疑問のもとに始めたコミュニティ巡回診療。最初は保守的な現地スタッフの反感も強く、半ば強引に開始。
するとやはり、日本では考えられないような現実を目の当足りにしたそう。
就学年齢にも関わらず、一日中地べたに、しかも家畜と一緒に座って過ごす子ども。
知的障害が原因でコミュニケーションが取れず、それが理由で殴られ続ける子ども。
日本であれば間違いなく虐待であるけれど、ガーナにはそれを受け入れる機関もサポートするシステムも整っていないのが現状。
そんな現実を目の当たりにして、「いったい自分には何ができるのだろうと」自問自答。葛藤の日々が続く。
だけれども、先輩が心に決めたこと、
それは、
ここ足を運ぶことをやめないこと。とにかく地道に、継続して活動をして、親の言葉に耳を傾ける。
根気強く活動を続けたことで、
コミュ二ティ内では歩けなかった子が歩けるようになったこと。
学校に行けなかった子が行けるようになったこと。
座れなかった子が座れるようになったこと。などなど。
先輩が施設の外に出なければ、埋もれていた命の輝きがいくつもあることを教えてもらった。
それから先輩は、巡回診療で見聞したものをセンター内で積極的に発表することで少しずつ少しずつ、活動の賛同者を得たそう。
ちょうど私が滞在していた最中に、活動した結果が実りつつあるような話を聞くことができた。
そしてついに!施設のディレクター、広報担当、外部コンサルからの後押しでコミュニティ巡回診療を正式に施設の事業として取り組むことが決まったことを、つい最近の先輩のFB投稿で知ることができた。つまり先輩が日本に帰国しても続けられるということ。
先輩と歩いてると、地域の人、職場の人にどれほど愛されているのか、どれほど信頼されているのかが手に取るようにわかる。
それは先輩が赴任して以来一貫して、
”地域密着”をモットーにしているからだ。
現地の人と同じものを食べて
現地の人と同じところに住んで
現地の人と同じ生活をする
言葉にするのは簡単だけれど、それをアフリカの田舎で実践することがいかに大変かは想像に難しくない。断水した時には頭にバケツ乗せて水を運んだ話も教えてくれた。
それも全て、自分の任期中にどれだけガーナの医療に貢献できるかという使命感と覚悟からくるものであることを感じた。
先輩と話す中で何度か出てきた、
「無駄なことをやってる、そんな時間は私にはない!」
っていう言葉がすごく印象的だった。
先輩はJKの時からなんか一人、全体を俯瞰するような、10代の女の子にはない何か特別な落ち着きがあったと思う。
毎度練習メニューに対してぶーたれていた大多数の部員(もちろん私も)とは違って、言われたことをきっちりと黙々とやるというのが先輩の印象。その、ブレないところというか、芯の強さがずーっと変わらない先輩の魅力なんだなと改めて思った。
ガーナの話、もっと気になる方々!先輩が寄稿してる記事があるから是非是非読んでほしい。
【世界中で活動する日本人が繋がり、伝え、共鳴する:W.W.J PROJECT】
【 PT・OT・STの働き方発見サイト:POST】
そして我らが!
【神奈川県】のホームページにも。
(住民票大阪に移しちゃったけどね!でももはやそれもないけどね!だって私は宇宙船地球号の仲間だもん!😊ありがとうございました。)
私の代の部活の同期も後輩も理学療法士になってるし、高校で運動部入ってる子の1割くらいは理学療法士になってるのでは?!もし進路について考えている高校生とかいたら、ぜひぜひ先輩の記事を紹介してほしい!!!
ガーナに行くの巻!
皆様、へぇ〜ボタンのご準備はよろしいですか?
ガーナのサッカー協会会長の名前は、ニャホニャホタマクロー。
94へぇ
いやーっ!懐かしい!!😂
そうなんです。タイトル通り私の次の行き先はチョコレートでおなじみのガーナなんです。
12カ国目:ガーナ
2月5日ー2月12日
でもガーナチョコってちょっと甘すぎない?やっぱりMeijiのが個人的には好き。
それからもっと言わせてもらうと、私は「たけのこの里」より「きのこの山」派なのさ。
さらに言うとカントリーマァムはバニラじゃなくてチョコ派なの。
つまりすごいマイノリティ。
未だ嘗て「きのこ・チョコ」派にまだ会ったことがない。
私調べだと大多数は「たけのこ・バニラ」派。
「きのチョコ派」で何かと肩身の狭い思いをしていたみんな!今こそ立ち上がろうじゃないか!!!!!
・・・・
話をガーナに戻しまして。
私もガーナ行きを決めてから知ったんだけど、世界の医学に貢献してガーナで亡くなった超有名な日本人の存在。
みんな一日一回は見てる!はず!!!!
誰でしょーーーーーーーーう!!
thinking ターイム!
・・・・・・・・
正解は!こちら!どーん!
野口英世!!!
諭吉と答えたあなたはおバカかセレブのどちらか♡
てかFBでシェアしたら思いっきりこの写真出てるじゃん。。答え出ちゃってるじゃん。。。
ガーナはこの旅で唯一日本でのビザ取得が必須で、尚且つビザの発行には黄熱病の予防接種が必要。
ちなみに野口さんは黄熱病の研究のためにガーナのアクラ(首都)に来て、研究の最中に黄熱病にかかって亡くなったそう。
でで、ガーナはビザ発行から3ヶ月以内に入国する必要があってそれでもって出国のチケットもいるっていうから、よし!出発だ!!!って思ってた日をややオーバーする羽目になった。(完全に自分のリサーチ不足)
まだ航空券の取得にもルートの計画にも慣れてない私にとっては出発前にしてややハードルの高いミッションだった。
ちなみに西麻布にあるガーナ大使館でビザの発給を行う査証部は火・木の午前中にしかやっておらず、火曜申請で木曜の午後受け取り、木曜申請で火曜の午後受け取りが基本。プラス3000円でその日の午後にもゲットできるよ!
やや難易度高めのガーナになぜ行くかって!
インスタの野口さんの写真でお気づきかと思いますが!
今度は高校バスケ部の先輩である、サキ先輩に会いに😆
アクラ空港に迎えにきてもらったその足で、コレブ病院内にある野口英世メモリアルに連れてってもらいました。
高校バスケ部の先輩とは卒業以来疎遠で、以来一度も会ってない方がほとんど。サキ先輩もその中の1人だった。
先輩がガーナ行くことは知ったのはたしか2年ほど前。同じくバスケ部同期のまいぽんが教えてくれた。
市役所勤めのまいぽんが、「サキ先輩の名前、市の青年海外協力隊の壮行会の名簿で見たよ!」って。
その時は2人ですごいねー!って話すだけで特に連絡を取るわけでもなかったんだけど、いつだか先輩の名前がFBの知り合いかもに出てきて、友達申請させてもった。
その後はちょこちょこ、先輩のガーナ生活をFBを通して垣間見る感じだった。
月日は流れ、またも縁を運んできてくれたのはやっぱりまいぽん。
去年の9月にめでたく結婚する彼女へのサプライズムービーを集めるべく、まいぽんのジモティーから、私は高校担当を任されたのだ。
FBで高校関係者に一斉送信。
律儀にもすぐに返信をしてくれた一人がサキ先輩だった。
「まい、私のこと覚えてるかな?笑」って。笑
「もちろんです!実はまいから先輩がガーナにいることも聞いてて、カクカクシカジカ。
実は私退職して旅に出ようと思っていて、カクカクシカジカ。」
すると、
「ガーナ来なよー!」って。
正直アフリカ行くのはビビっていて、まるっと飛ばしてもいいかなー?なんて思っていたから、こんなに嬉しいお誘いはなかった。
アフリカ飛ばしてたらルワンダのはるちゃんにも会えてないしね。
卒業以来、8年ぶりの連絡でまさかの展開。
当時から特別親しくさせてもらっていたわけでもないし、8年ぶりの再会がお宅訪問だなんて。さすがに軽いノリすぎるような気もしなくもなかった。
だけどそこは見切り発車常習犯の私、気づいたらもう、
行きたいですーーーー!って返事してた。笑
深く考えもせずに行きたいです!と言ったことへの僅かばかりの後悔は、
「体力と好奇心とパスポートだけでおっけーよ!」の一言で打ち消された。
これが私がガーナ行きを決めた理由。
新たな関係のはじまり。
ルワンダ:1月28日ー2月4日
ルワンダは「千の丘の国」って言われるほど小さな山や丘が国中に広がっていて、私の〜お墓の〜ま〜えで〜泣かないでください〜って脳内再生が始まったかと思えばすかさず別の自分が「それは丘じゃなくて風!」ってツッコミを入れるっていうのがの日課になっていました。え
ど田舎!と思っていたルワンダは、しょっぱなからその景観に驚かされたけど、 更にマリオットホテルあったり、
普通にスーパーがあったりって、もうびっくり。
もちろんイメージ通りの部分ももちろんあったけど、なかなかの衝撃だった!
それから素敵なカフェ、Question coffeeを発見。
HPによると、コーヒー業界の現状は決して持続可能というわけではないみたい。それは全世界の8割のコーヒーを生産するのは小規模農家で、そのほとんどは高齢化が進んでるし、コーヒー豆が安価で取引きされるため、農場の維持が難しくなっているんだそう。若者にとってコーヒー農家が夢ある仕事にならない限り、一体誰が未来のコーヒーを育てるんだーーーー!!!的なことが書かれていた。(ryonko翻訳なので悪しからず)この現状をビジネスの力で変えようというのが、Question coffeeのようだ。
”Question Coffee™ is not about one company, or even one industry. It’s about a simple question that has the power to transform business for the better.”
このロゴ、コーヒーカップを真上から見た感じになってるのだ!
ほんで、どこの国でも外せないのは市場!やっぱり市場、すっきやわ~!
お気に入りの一枚はこちらの人参おばさん!
続きましてはキガリ市内で女性の雇用創出をしているNGOが主催するお料理教室へ。
皆さまお待ちかね!
「世界のどこかで花嫁修行
~アラサーりょうこのグローバル婚活日記~」はじまるよ〜!!
うん、
この感じのブログだと、流行らせる自信あるわあ。笑
世界2周目することになればこれやるね😇
ここのNGOはルワンダの布を使ってアパレル製品の製作をしているんだけど、
働いてる女性の表情がすごーーーーく明るくたのしそうだったのが印象的だった!
噂のバイクタクシー、MOTOにもチャレンジ。
無事に目的地にたどり着けた記念の一枚。笑
現地価格まで交渉できたことに先輩からお褒めの言葉をいただいた!笑
大阪生活と今までの旅で私の交渉スキルは大分上がったようだ!
街ブラしてからMOTOで来たのはこちら!上の扉に注目!!
そうなんです。これが先輩と旦那さんが始めた日本食レストラン、Japanda!!
このジャパンダ、何を隠そうルワンダの日本人による日本食レストラン第1号なのだ!!!!!!!
♡FBページ見てね見てね♡見てね♡
https://www.facebook.com/japandaltd/
私が食べたのがこちらー!Teriyaki-don!!!ドーンドーン!
う、うまい!うますぎる!!!!
炭火で焼いた鶏肉が最高。炭火焼きって、すごい贅沢じゃない!?でもルワンダ人からしたら庶民的だから最初は従業員にも驚かれたんだって〜。贅沢と豊かさの価値観の違い!面白い!
ジャパンダのすごいところは使用する食材は全てルワンダ国内調達してるってとこ。それでこの味のクオリティは本当にすごい。
なんで国内調達にこだわるかって、それは、ジャパンダがジャパンダを通してこの国で1人でも多くの雇用を生むこと、ルワンダの発展に貢献する事を目的としているからだ。
”材料がわたしたちのもとに届くまでに携わるルワンダの人々が多ければ多いほどこの国の底力になると期待しているからです。”
とっても痺れるジャパンダの理念。痺れた!!!
ところで先輩、なんでまたアフリカに?
色々理由は聞いたのだけど、私が一番印象に残ってる言葉がこれ。
「アフリカの現状を知ってしまって、そのまま自分さえよければで生きていくことはできなかった。」
「自分のやろうとしてることは、微々たるものなのかもしれないけれど、日本にいて国際協力に関わるよりは、現地でやる方が今の自分には納得ができる生き方だった。」って。
何となーく、国際協力だとか途上国のビジネスに関わる人ってすごく高尚な精神の持ち主で自分とは心のレベルが全然違う、遠い人にしてたけど、先輩の話を聞いていると、いい意味で変に肩肘張ってなくて軽やかにただただ理想の生き方を選んでるだけな感じがして、あれ?そんなに遠くないかも?好きの延長でルワンダ来ちゃったって感じ?うーん!アフリカに住むのも無しではないかもな!と思えるようになった。
もちろん先輩のルワンダ生活の中には綺麗事だけじゃない、悔しい思いもめちゃめちゃしてる。驚く話もたくさん聞いたし大変な思いもいっぱいしてるんだけど、それでもルワンダに対してポジティブなイメージを与えてくれて、選択肢や視野を広げてくれたのは、やっぱり先輩自身の魅力とルワンダへの愛なんだと思う。
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1週間のルワンダ滞在はとーっても有意義なものになった。
先輩と四六時中話ができて、旅に出なければこんなにたくさんの時間を共に過ごせなかったと思うし、ルワンダで得た気づきもなかっただろうから、改めて旅を決めた自分に、陵南戦で魚住のファールを誘った花道ばりのファインプレイだと言ってやりたい。だけどそれ以上に、ルワンダで会えると当たり前に思っていてくれた晴子先輩に、「大好きです 今度は嘘じゃないっす」って伝えたい。
そして最終日には更に嬉しい出来事が。
空港で食べれるようにと持たせてくれた梅しそチャーハン。添えられていた手紙には、
「先輩後輩これにて終了!これからは、はるちゃん・りょうちゃんでいこうね」って。
大好きで尊敬していた人に認めてもらう嬉しさ。
ああ、また人生のご褒美をもらってしまったなあ〜。しみじみ。
にしても11年前の2人、すげー田舎の中学生!顔パンパンだし真っ赤!笑
あの頃に比べたら私たち、随分イイ女になったよね?笑
子どもは国の宝
ルワンダ:1月28日ー2月4日
飛行機が少し早くついたのと、想像以上に簡単な入国審査だったため、約束の時間より1時間ほど早く空港の外に出ることになった。
というのも、ルワンダの空港は小さすぎて、到着ロビーのようなものがなかったから。
空港の外に出ると湿気を帯びた空気に迎えられたのを覚えてる。
暑っいところに来てしまった!
そして、1年半ぶりに先輩と再会。息子のレイくんとは初対面!
ルワンダの首都、キガリの街を車で通って先輩の家まで。
途中、街並みが想像以上に綺麗でびっくりした。
ここ、アフリカなの!?
ルワンダの街並みが想像以上に綺麗でびっくりした。
アフリカのイメージと全然違う。
ゴミも全然落ちてない!ポイ捨て罰金制度アリ!
あー!なんか思い出したぞ、この感じ。
あれだ!シンガポールみたい!
って思ってたら、本当にルワンダはアフリカのシンガポールを目指しているらしい。
それから、毎月最終土曜日は「ウムガンダ」と呼ばれる社会奉仕活動の日になっていて、自分の住んでいる地域の清掃とかすることを先輩が教えてくれた。
いろんな発見があったけど、中でも感動したのが子どもに対する接し方。
ゆーたらあれだ、「国民総子育て国家」「子育て大国ルワンダ」って言いたいくらい。
先輩と息子のレイくんと3人でお出かけしてすぐに、
「ルワンダはある意味子育てしやすいよ〜」の意味がわかった。
バスに乗ると、すぐに誰かが
「ここに座りな!」
「抱っこしとくよ!」
「今何歳?可愛いわね〜」
と子連れの晴子先輩に話しかける。
あれ?さっきまでご機嫌だったのに。笑
泣いたり、笑ったり、あくびしたり、大忙しだ!
ローカルバス内はこんな感じ^^
まだルワンダに来て1年半ほどなのに現地語も使いこなす先輩はさすがだ。すぐにママトークを始めてる。
隣のおばちゃんがアボカド食べてるの見て、
「一口この子にもらってもいい?」だなんて普通聞けないよね。笑
こちらは道でアボカド売ってるおばちゃんとの一コマ。
この男の子も最高に可愛かった!
ルワンダは子どもに向けられる眼差しがすごくあったかい。
泣いてたって嫌な顔する人もいなくて、子どもがそこにいるだけで場の雰囲気がぱあっと明るく、あったかくなるのを感じた。
いいよな〜その感じ。
それがあるべき姿でもあると思うんだよな〜。
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「ルワンダ人にとって子どもは国の宝。自分の子も他人の子も関係ないよ。みんなルワンダの子どもなんだよ。」
そう話してくれたのは、ローカルツアーに参加した際にアテンドしてくれたルワンダ人の青年。
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1994年4月。世界を震撼させたルワンダで起こった大虐殺。100日間で50万人から100万人のツチ族がフツ族によって殺されたと伝えられている。
この大虐殺からまだ23年しか経過していないのだけど、少なくとも私にはその傷跡や悲劇の片鱗は、「アフリカの奇跡」と呼ばれる復興を果たしたルワンダの街からは感じ取ることはできなかった。
キガリの街から少し離れた場所にある、Kigali Genocide Memorial (キガリ虐殺記念館記念館) を訪れたのローカルツアーに参加した2日前。ここでは虐殺の歴史を写真や映像を通して学ぶ事ができる。
キガリ虐殺記念館 口コミ・写真・地図・情報 - トリップアドバイザー
事前にホテルルワンダを鑑賞していたので英語だったけど割とすんなり内容を理解することができた。
館内にChildren's roomという、展示があった。
殺されたツチ族の子どもの生前の写真と共に、その子の好きな食べ物、得意なこと、将来の夢などの説明書きが加えられていた。
この子は生きていたら調度私と同い年くらいかな。
そんな事を思いながら写真を一枚一枚みて回り、心がずしりと重くなるのを感じた。
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「子どもは国の宝」
記念館を訪れていたから、その青年の言葉をより一層深く受け止めることができたんだと思う。
この子らが大きくなる頃は、ルワンダはどんな国になってるんだろうか!
近況報告とルワンダ編の序章だよ♡
Hola!
みなさまお久しぶりです!!!更新しなさすぎて心配してたよ〜と何人かの方にお声かけいただいたのが嬉しくて嬉しくて。。。
ありがとうございます!!!
そして、ご心配お掛けしてすみませんでした😭
ちなみにインスタはわりかし更新をしているので、こっちも見てくださると嬉しいです!!!!
前回のブログは1月に訪れたエジプトの話で終わってましたね。
えっと〜今は、、、え?6月!?ロクガツ???
これ、世界一周中にブログ完結するのかな。。。
そんな弱気な私も?日本を出てから7ヶ月がたちました!
あらやだ奥さん、ミヤモトさん家のリョウコちゃんは今メキシコにいるそうよ。ほらあのなんでしたっけ、弾丸トラベラー?あんなんでよくやってる。。。あの〜その〜
あー!カンクンね!!!!
イマココ。
ということで!緊急企画!
エジプトから今の今まで私がどこにいたのかざっくり大発表!
エジプトから、ルワンダ→ガーナ→モロッコに。
モロッコからスペインで船で渡り、4月の頭からスペイン巡礼!
1ヶ月の巡礼が終わった後は駆け足でヨーロッパを周り、ポーランドからアメリカに。
5月頭から、LA→NYのアメリカ横断byキャンピングカーwith16人!
その後キューバに飛んで6月8日に、メキシコのカンクンにきました!
この、たった5行にものすごいドラマが詰まってるんだゾ☆
アメリカ横断後、完全に緊張の糸が切れて気が緩んだせいでトラブルというか、旅に出てから一個もなかった粗相を連発。
ATMにてカードの撮り忘れ、からのタクシーに財布置き忘れ
からの携帯置き忘れ。。。
普通なら致命傷になっていることにも関わらず、ありえない程の幸運で、全て事なきを得ました。カードも財布も携帯も全て無事です。
本当に良い人に恵まれていることに感謝しかないです。。。
これは、、、ヤバいよまじで。
完全にネジ1本飛んでるわ。
加えて、、、贅沢な話なのはわかっているけど、今旅へのモチベーションが下がっています。アメリカ横断が最高だった、燃え尽き症候群かな?
こんな調子で楽しみにしていた南米に行って、自分大丈夫!?
ここらでちょっと気合入れ直さないと。
と思って。。。
今日から10日間、カンクンの日本人宿、「ロサス7」でお手伝いさせてもらうことにしましターーーー!!!
ぜひぜひ6/20までにカンクンにお越しくださいね!!!!
この10日間の目標:
精神統一
気合を入れなおし
スペイン語の基礎勉強
キューバまでのブログを書き終わらす
毎日顔ヨガやる
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ってことで、この勢いで
エジプト後のブログ、書いちゃうぜ〜!カンクンは夜中2時半だけど、書くぜ〜!
毎日9時とか起床してるぜ〜!社会復帰できるかたまに不安になるぜ〜
エジプトを後にして向かったのは、、、ルワンダ!!
1月28日から2月4日まで滞在しました。
私がルワンダという国を知ったのは大学生の時。
さわちゃんという、とっても素敵な友達がいるんだけど、彼女は大学でアフリカについて勉強してて、ある日ルワンダという国について教えてくれた。
彼女がアフリカに興味を持ったきかっけは、高3の夏に一緒に行った「世界報道写真展」がきっかけだったんだって、いつか話してくれた。
当時朝日新聞をとっていたから、確か新聞のおっちゃんがチケットをくれたんだと思う。
予備校の特別講座でたまたま横浜まで行く予定があったから、じゃあ帰りに寄ってみようってことで、チケットを持って家を出た。
当時のことはわりと鮮明に覚えてる。
さわちゃんと澤ちゃんの3人で河合塾の特別講座に行った帰り道、なんでか私は写真展に寄ってから帰ると、はっきり言い出せなかった。
受験勉強中にそれどころじゃないだろうと思われたくなかったのか、今では理由ははっきり覚えていない。
「ちょっと用事があるからここで」って、別方向に行こうとする私に案の定、2人は理由を尋ねてきた。
実は、、、って話したところ、2人とも写真展に興味持ってくれて結局3人で行くことになった。
それがその後さわちゃんの大学生活に大きな影響を与えたって言うんだから、人生は面白い。
会うたび、どんどん先に進んでいる彼女は尊敬する大好きな友人の1人だ。
さわちゃんが中大ヒルトップでルワンダについて熱く語ってくれてから7年後、私はついにルワンダの地を踏むことになった。
映画、ホテルルワンダの鑑賞を勧められたあの日からももう7年もたってたんだな。。。結局見たのは旅に出る直前。だいぶ寝かしたけど、これがタイミングだったと思うことにした。
そして、世界一周中にルワンダ行きを決定付けたのは、
大好きな先輩の存在。
彼女の名前は、晴子先輩。
ミニバスと中学のバスケ部の先輩。
先輩は中学を卒業すると高校進学を理由にお引越し。
その後再会したのは私の大学受験が終わった頃だったんじゃないかな。。。
お互い大学生になった後、一度だけ多摩センターで飲みにいってからは先輩の近況はFBを通じて知っていた。
気がついたら、アメリカにいて
気がついたら、東京で働いていて
気がついたら、ケニアで薪割りしてて
気がついたら、結婚をして地元で新婚生活送ってて
気がついたら、私は、先輩と旦那さんの新たな挑戦であるルワンダ行き直前の行ってらっしゃBBQに参加させてもらっていた。それが一昨年の話。
BBQ後に送ったお礼のメールで、
「いつかルワンダに遊びに行きますね!」 と。
当時私が発した”いつか”は、永遠にこない”いつか”だったのかも知れない。
だけど、それから1年半後、その”いつか”は数ヶ月先の予定になった。
あのBBQから経過した1年半の間、先輩は旦那さんと2人でルワンダ初の日本人による日本食レストランのオープンさせた。
FBで知る先輩のアフリカ生活にはいつも驚きと刺激がいっぱい。中でもルワンダの病院で長男のレイくんを出産した話は、衝撃的すぎて何人に話したかわからない。笑
今ではルワンダで絶賛子育て中の肝っ玉母ちゃんだ。もちろんレストランの経営もしている、スーパーワーキングママってやつ。
そんな先輩に1年半ぶりに連絡を取り、仕事を辞めて世界旅行に出るから会いたい旨を伝えると、
”そんな風の噂を聞いたよ!私は勝手に会えることを楽しみにしてた!笑”
という、とっても嬉しい連絡を頂いた。
今メール見返しても嬉しくなる。
旅の序盤、マレーシアでの素敵な出会いをくれたのも先輩のおかげ。
あ〜晴子先輩にもうすぐ会えるだ〜
ワクワクして私は飛行機の中を過ごしていた。
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エジプトといえば、、、
エジプトといったら、、、、やっぱり!
遊戯王よね!!!!
それからやっぱりピラミッドよね!!!!
1月25日
ダハブから夜行バスでカイロに移動。途中の検問のせいでよく眠れなかったけど、
気合い入れて死ぬ前に行きたいとこランキング上位入賞のピラミッドに!ついにきましたー!
そしてスフィンクス!
手前の男の子の顔に注目してくれ。笑
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私はラクダに乗ってピラミッドを背景に写真を撮りたい!と夢見ていた。
だけどラクダに乗るのはリスクがつきもの。詐欺までいかなくとも煩わしい思いをすることは絶対に避けられない。というのも、ラクダから降ろしてもらうのに3万円ボラれた人にダハブであったから、私の警戒心はマックスだった。
3万ボラれた大魔王の記事はこちら→
【しくじり大魔王】アフリカ到着もボッタクりに遭い早くもピンチ! - まぐまぐニュース!
【しくじり大魔王2】エジプトの村で5、6人に囲まれ大ピンチ! - まぐまぐニュース!
初めての海外旅行はエジプトと決めているロックな人は必読だ!
詐欺と煩わしさを回避するため、私とラクダ仲介オヤジとのデュエルスタート!
「ツアーいらない。ここからそこまでの短距離でいいから」
「写真撮影は料金に含んでるね?」
「ラクダに乗せてくれるのと、もちろんラクダから下ろしてくれるのも含むわよね?」
「その料金、チップも込みだから。バクシーシなしだからね!(バクシーシとは喜捨。)」
私のしつこいくらいの確認に半ばおっさんも半笑いで呆れ始めるw
だけどそのあと、オヤジがラクダ使いを呼んですかさず、
終わったあとに彼にスモールマネーをあげてくれたら嬉しいとかいうもんだから、
「 I told you、 NO バクシーシ!!!!!」
と一喝!
写真とってくれたけど、、、、
ピラミッドもラクダちゃんの顔も切れてますけどーーー!
下手くそかよwwwwwwwwww
仕方がないがありがとうと言って約束の金額を手渡すも案の定チップを要求される。
そもそも論としてさ、チップって、要求するもんじゃなくない!?
ここまで旅を続けてきたことでシカト能力が大幅に向上した。
いきなりだが、しつこい奴への対処法として、私は以下3点を採用している。
1、とにかくシカト。
自分を透明人間だと信じて、見ざる言わざる聞かざるで行きましょう。
2、気がフレてる人になる
例えば日本語で大声でお断りを入れる。
「タクシーいらないよおおおおおおおおおおおおおお」
これは結構効果あって、二度と声をかけられない。エネルギーを消耗するため、元気のある朝限定。それから友達といる時限定。
3、やられる前にやる
2と近いけど、話しかけてきそうな奴にはこっちから
「1ダラー?1ダラー?」とお金を要求して向かって行く。
大抵笑って終わる。これも1人でやるとつまらないから友達といる時限定。
無理やり3つ挙げたけど、1のシカトで間違いない。
かつて、ノーと言えない日本人として、留学中に中国人の友達から「いつも笑顔でいるのがなんだか胡散臭い」と言われた私はもうどこにもいない。
眉一つ動かさない、砂漠に雪を降らすほどの冷たい表情でシカトするのなんてもう朝飯前である。
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ピラミッド前で写真を撮る人達の人間観察が面白い。
念願叶ってのピラミッド!満喫!
そしてこの日はまたまた夜行バスでカイロからルクソールに移動というハードスケジュール!!
1月26日
ルクソールでダハブで出会った淳さんと合流し、アスワンに向かう。
早速宿にチェックインして、次の日のアブシンベル神殿ツアーの申し込みをしたいのだけれど、、、明日の団体ツアーはもう売り切れ。他を当たるかタクシーチャーターだね。と。
アブ・シンベルのツアーはホテルごとの手配らしく、観光案内所に行っても「ホテルに行ってみて」と言われるだけであった。
そして、、、
何件回ってもなーーーーーーーーーーーーい!
10件近く回ったんじゃないかなあ。。。
公共バスで行く方法もあるのだけど、それだと私のフライトに間に合わないため、最後の最後でタクシーチャーターをすることに決めた。
1月27日
早朝より出発。
おおおおおおお!
でかい!
ラムセス二世になりきる私の図。
ワンピースはニコロビンをイメージの図。
ユイさんに「おっぱいは?^^」って言われたお^^
^^
アブ・シンベル神殿はですね、世界遺産第一号なんですよ!
というか、これがあったから世界遺産というシステムが生まれたってやつ!
度重なるナイル川氾濫を防ぐため、1960年代にアスワンハイダム建設の計画が持ち上がる。だけどダムを作るとこの神殿はダムの底に沈んでしまう!!!!
そこで手を差し伸べたのがユネスコ。アブシンベル神殿移設の大プロジェクトが発足!!!実に4年の歳月をかけて、今ある場所に移設されたんだってさ。遺跡もすごかったけど、元クレーンの営業としては流れていた移設プロジェクトの映像にも痺れたわ〜
エジプトを旅行している最中、土曜の夜は家族ソファで横並びで世界ふしぎ発見を見るのがお決まりだった子ども時代を思い出して、興味を持つきっかけを与えてくれたおとんとおかんに改めて感謝の気持ちが湧いてきたわけさ〜(なんか最後にいい話持ってきたね)
子どもの時の憧れを手にする瞬間は、たとえ長い間それを忘れていたとしても、何とも言えない感動がある。
「あー!あの時のあれはここに繋がったのね!」となるあの感覚が私はたまらなく好きだ。
ダハブ、最高だったぜ!
"おことわり"
この度ダハブに関連するブログを書くに当たり、多数の方から「彼氏ができたの?」
「恋の行方は?」という質問を受けましたが、このような質問は極めて個人的であり、受け取り方によってはセクシャルハラスメントに抵触する恐れがあります。また、ダイビングは原則、ウェットスーツを着用して行うため、本人の水着姿の写真は一切掲載しておりません。これらの内容を理解して頂ける方のみ、引き続きブログを楽しんで頂きたく存じます。何卒、ご理解の程、宜しくお願い申し上げます。
。。。
なんつって!♡
いや〜今思い返してもダハブの日々は平和で穏やかだったわ〜。
(1月16日〜24日まで滞在)
特にネタになるような事件もなく、壊れたサングラスで無理やりネタを作る始末。
ダイビングを中心にだけど
空き時間はカフェで筆記試験の勉強したり、
エジプトのB級グルメのコシャリを食べたり、
なんとご飯とスパゲッティミートソースのコラボ!何これーーーー!って思ったけど、味は中々美味しい!そば飯的な感じだね!
宿のみんなでご飯食べいったり、
初シーシャ体験したり、
ウェットスーツの洗い場に何度も投げ込まれたり、
星を見にいったり、
リア充ぶってみたり。
そんな毎日♡
そうそう!
バンコクの宿で見かけたSHIORIさんと再会!すごく感じのいいお姉さんだったから一言二言しか交わしてないけど覚えてましたよ!
これからイスラエル、ヨルダンに行くとのことだったので、
神こと、かめかわさんから授かったバイブルを手わたすことに。
このことを神へ連絡すると、こんな素敵な返信を頂いた。
”地球の歩き方は、次の旅人に渡してもらえれば文字通り、「本望」です。”
さすが国語の先生、、、!!粋だ!!!!
さて、
肝心のダイビング講習の方ですが、、、
浮遊テストで首が筋肉痛だし、水中でゴーグル外す練習では間違って海水飲み込むし、海の中は想像以上に寒いし、勝手に海面まで浮いてっちゃうし、、、
もう目開けて昼寝しちゃうくらいしんどかった!
そうですね、ダイビング講習の総評としましては、
「これは、恋に落ちるわ」の一言に尽きるかと。
イケメンインストラクター・タケシさんは海の中を自由自在に移動。
トレーニングが1度で出来なくても何度も根気強く教えてくれる。
そして出来た時のハイタッチ!!!眼差しが優しさに溢れていたよ!
でも何が一番カッコ良いかって、重いガスボンベを1人で装着する姿!!!!!!これは見た人にしか伝わらないのがもどかしい。。くるリンパと同じ要領で前から抱えて、、、くるリンパ!ってやるの。
うん、知ってる☺︎マニアックよね☺︎
世界一周へ旅立つ前にに母上に言われた、
「旅という非日常に惑わされないように」
という言葉を何度も繰り返し平常心を保つ。
水中でドキドキしたら酸素なくなっちゃうからね!!
何はともあれ、無事に基礎であるオープンウォーターコース三日間終了!
そして2日間のアドバンスコースではは有名なダイブサイトである、ブルーホールとキャニオンへ!
準備中!
今から潜るぜ〜!
こちら水中でございま〜す!
超キモチーーーーー!!!
写真じゃ伝わりにくいのですが、海の中は本当にカラフルなお魚と珊瑚礁でいっぱい。
海の森って感じで、今まで見たことのない世界が広がってた。特に良かったのがナイトダイブ。夜の海は暗くて静かで昼間とは全く別の顔をしてました。すごく神秘的で終始ワクワクしていたのを覚えてます。
ダイビングを通して、地球は人間中心ってわけじゃないんだなという当たり前のことに気付かされた。自然は偉大だ。
そしとまた1つ、新しい世界の入り口を開けたような気がしてすごく嬉しくなった。
これからはダイビング目的に旅先を選ぶという選択肢もできたわけだ!♡
今後の目標に”半年に一度はダイビングをする”を入れたので、一緒にダイビング行ってくれる人、大募集ーー😝✨✨
って、こっから半年後の7月に私はどこにいるのやら。笑
あー!楽しかった♡♡♡