全米で泣いた!男女16人アメリカ横断物語!第4章:ルート66のサインを探せ!
DAY4
2017.05.09
横断4日目
旅人って、普段どんな服装してるの!?って、聞いてみたい人〜!(唐突)
は〜い!
それでは早速ですが、旅する明太子takeちゃんに今日のファッションのポイントを聞いてみたいと思います!
「トップスとパンツですでに世界の4分の3は回っちゃった感じですね。」
「ええ、そうなんです。旅人御用達のタイパンに、メキシコのシンボルである、ドクロTシャツです。」
「え、戸愚呂ですか?」
こちらのイケてる(風)のメンバーはペアルックってやつですね。
え?今時ペアルックなんて死語ですか?双子コーデ?リンクコーデ??
「お、いいTシャツとパンツっすね〜」
「まあな〜なんつーか、あれだよな。」
「三つ子の魂百まで」
「それを言うなら三つ子コーデっすね〜☺︎☺︎☺︎」
「ちょっとちょっと、それなら早く言ってくれよ〜」
「俺、慌てちゃってタグ付けっぱなし!小さい時からの癖でさ〜」
「三つ子の(以下省略)」
〜完〜
メンバー着用のアメリカかぶれTシャツですが、実は昨晩のラスベガスにてパスポート忘れたためにカジノに行けなかった最年少メンバーのへいへいが自分の誕生日の番号にルーレットかけといて下さいと他メンバーに伝え、、、
なんと18倍に!笑
そのお金でお揃いのTシャツをみんなにプレゼント🎁してくれたのです!!!🙏💕
横断メンバーはアメリカTシャツを手に入れた!
メンバーの映え力が50UPした!
めちゃくちゃ楽しそう!
めちゃくちゃ良い写真!
写真に写る、ROUTE66これが本日の目的地。アリゾナ州、セリグマンという小さな町に泊まって古き良きアメリカを感じてきました。Disney映画、カーズの舞台にもなった町なのだよ!
ルート66は、1926年に制定されたアメリカの国道。
この道を物資が行き交い、アメリカ南西部の経済、産業の発展の原動力に。
車移動に欠かせない、宿と食事。モーテルやファーストフードといった文化が生まれたのもルート66が深く関係しているんだって!
しかし、1985年により多くの交通が可能な高速道路を開通させたことによってその役割を終え、徐々に道路沿いの町も廃れていってしまうことに、、、
そこで立ち上がったのが、セリグマンに住むエンジェルさん!!「古き良きアメリカを残したい!!!」と、廃線になったルート66の保存と発展のためにHistric Route 66 Association ArizonaというNPOを立ち上げ、活動に尽力。再び地図にその名が刻まれることに!現在では、歴史的文化遺産として登録されている。だから、ルート66の看板にはHISTORICの文字があるのね〜
夜の町、いいわ〜。
朝の町もいいわ〜。
朝ごはん🇺🇸🥞☕️🥓
素敵な朝だ!
よーし明日の朝はパンケーキ焼くぞ〜!🥞🥞🥞
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ドクロを戸愚呂と読んでしまったそこのアナタ!
酒はダメなんでオレンジジュース派のアナタ!
明日の朝はパンケーキに決めたアナタ!
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全米で泣いた!男女16人アメリカ横断物語!第3章:ラスベガスの狂気
2017,05,08
DAY3:横断3日目
やってきました!ラスベガス〜!!!!
といえばこちらのフレーズ。
”What happens in Vagas, stays in Vegas”
Sin city(罪の街)とも言われるラスベガスは、なんか色々羽目を外してやらかしちゃう人が多いみたい。
だけど、ラスベガスで起きたことは、ラスベガスに残る。
つまり、やっちまった事はお家に帰ったら無関係よ!
というのが、この有名なフレーズ。今日はやらかしそうな予感がしたら、Vegasの部分を他の言葉にして使ってみてね⭐️
ラスベガスの狂気
さて、ラスベガスのRVパークについてから、夕方の集合時間まで自由!
カジノ興味なし
買い物する余裕なし
何しようかな〜と思っていたら前日にメンバーから、
「これ乗ろうやー!!!」
と見せられたのがこちら。
ストラトスフィアタワーの上にある、"Insanity"(インサニティ)というアトラクション。
Insanity=狂気
ほ、ほほーう。
あ、これはフリーホールね。
随分高いわね〜
え、350m?あら、東京のシンボルより高めなのね〜オホホホホ。
私、誤解されがちなのですが絶叫系があまり好きではない。
エレベーターのふわっとするやつも苦手。
でもたとえおしっこチビッたとしても、
what happens in vegas, stays in vegasだもんね。
旅は道ずれ世は情け〜いっちょ一皮向けてくるか!
ひゃっふ〜!!!
Insanityめちゃ楽しかった!!高いけど、胃が浮く感じではない!
いや〜!楽しかった!
タワーを後にして向かったのは、
ベラジオの滝。別行動をしていたメンバーと合流して暗くなるのをまーつ。
無料で見れちゃう噴水ショー!
小腹が空いたら、ファットバーガーに!
小腹5つ分くらい満たされました。
メンバーたっての希望でリムジンチャーターをすることに!
「リムジン乗りたいね」と君が言ったから五月八日はパリピ記念
そしてまたもみんなで記念撮影!楽しそう!💕
リムジンでストラトスフィアタワーに送ってもらい、
ラスベガスの夜はフリーホールで締めくくりたいと思います。
夜のフリーホール、超絶おすすめ。
夜景が綺麗すぎた!!!ラスベガス行く際にはぜひぜひストラトスフィアタワーに!
アメリカ横断してみたい!と思った方もそうでない方も
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全米で泣いた!男女16人アメリカ横断物語!第2章:マンザナーで平和について考える
2017年5月7日
横断2日目
ロスから約3時間ほど運転で北上し、
マンザナー国定史跡に到着した。
雪が残る山の麓が見えるほど、何もない荒野が広がる。
もう5月なのに、冷たく乾燥した風が吹く。
キャンピングカーを降りると、アメリカ人のおじいさんが話しかけてきた。
「君たち、日本人かい?」
「子どもの頃、リトルトキョーの近くに住んでいてね、日本の友達もたくさんいたんだ。
だけどある日突然、お別れも言えないまま彼らはどこかに行ってしまったんだ。
本当に悲しかった。彼らは、本当に良い友人だったんだよ」
マンザナー国定史跡
またの名を、「マンザナー強制収容所」。
ここは第二次世界大戦中に、当時アメリカに暮らしていた12万人もの日系人が隔離された収容所の1つ。(収容所は全米で10箇所)
駐車場で出会ったおじいちゃんの友人も、このどこかに連れてこられたのだろうな。
1941年12月7日
「日系人は日本のスパイに違いない!」
「放っておくと危険だ!どこかへ隔離してしまえ!」
謂れのない偏見と憎悪と暴力が、日系人に向けられた。
1942年2月19日
12万人の日系人は、
家
仕事
畑
全て失った。
言われなき差別によって、
基本的人権、人としての尊厳が奪わた。
詳しい説明はこちらから↓
収容所のパノラマ。約1万1千人が3年間ここで生活をする。
再現された小屋。砂埃がひどかったと聞く。2家族以上が1つのバラックで生活した。
トイレに仕切りはない
強制収容所政策が、憲法違反であったと政府が認め、謝罪するのは収容所の閉鎖から40年以上先の1988年。アメリカ政府から日系人へ公式な謝罪と補償、そして後世に伝えるための教育基金が設立された。
しかし、今日のアメリカはどうなのだろうか。就任早々、イスラム圏の国からの入国禁止令を支持するトランプ大統領。そして、それを支持する人々の存在。
この危うい状況にいち早く「おかしい!」と声をあげたのが、強制収容を体験した日系アメリカ人だった。
「アメリカは過ちを繰り返してはいけない」
日系人は、自らが経験した強制収容所の歴史から、自由と平等の社会の実現に向けて行動し続けている。
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私はマンザナーにめちゃくちゃ来たくて来たくてしかたなかったのだけど、他のメンバーはどう思うかずっと心配だった。
退屈させないかな?とか、嫌々来てないかな?とか。。。
せっっかく連れて来てもらったのに終始そわそわして、いらない気を使いまくってしまったことに反省。好きなことは好き!ただただ純粋に学び楽しんで、
「みんな、連れて来てくれてありがとう!」って言えればよかった。って、すごく思った。
でも、「りょんりょんのおかげで日系人の歴史が知れてよかった」って言ってもらえて、すごく嬉しかった。改めてメンバーに感謝。
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人種、宗教、肌の色、価値観、考え方、、、
あなたと私は違って当たり前。
それは「違う」以上でも以下でもない。
ただ違うという事実。
誰もが自由で平等な世界に生きれるように、
違いを楽しんで、愛せる人になりたいなと。
多様性を認め合う世界の実現のために血を流した人たちのことを忘れないように。
是非是非応援クリックお願いします🙏
最後に、資料集めで見つけたオススメの動画たち!
9.11テロに立ち向かった日系人(日本語)
9.11の同時多発テロが起こった際、アラブ系、イスラム系に向けられた差別、偏見、憎悪に対して、いち早く正義の声をあげた運輸長官のノーマン ・ミネタさんへのインタビュー。素晴らしすぎるミネタさんの行動。胸が熱くなりる!!!
IS HISTORY REPEATING ITSELF?(英語)
歌手のケイティーペリーがプロデュースした動画。
日系人の強制収容という差別と偏見による負の歴史が、イスラム教徒に対してまた繰り返されているというもの。ラストが衝撃だから是非是非最後の方だけでも見てほしい!
Kids Meet a Survivor of Japanese American Internment(英語)
この動画、8歳で強制収容所体験をしたsyokichiさんに子ども
がインタビューをするんだけど、すごく良かった!
偏見のない、子どもの素直な視点と意見ってやっぱりいいよな〜
このシリーズ、他もオススメ。
全米で泣いた!男女16人アメリカ横断物語!第1章:前夜祭と1日目
ハロー!ワッツアーップ!
そして今日はなんと、金曜ロードショーがララランド!!!
皆様ぜひともTHE LIGHT HOUSE CAFEのシーンを見てほしい!
そして、ブログはアメリカ横断編に突入〜!
ネタがありすぎて何から書いて良いのかわからない。。。。
とりあえず写真を見返してみて、懐かしすぎる気持ちに浸っておりました、はい。
2017.05.05 DAY0
初めましてな前夜祭!
ロス郊外にエアビを借りてそこに集合!
メンバーはなんと16人!笑
キャンピングカーは8人乗りで、当初8人の予定だったそうなんだけどY介くんが声かけたら8人超えたらしいんだわ。
じゃあ、2台借りるか。
Bigger is Better、
デカけりゃデカいほどいいよね⭐️
う〜ん!発想がすでにアメリカン🍔
こうして集まった16人。
半分は旅中のバックパッカー、半分は日本から。
私が知っているのは発案者のY介くんのみであとはみんな初対面。
とゆーことで、明日からの出発に備えて就寝〜!
2017.05.06.DAY1
キャンピングカーを借りるの巻
朝、エアビを出発してキャンピングカーのレンタル会社へ行く。
しかし16人もいると移動だけでもまー!大変!w
ドタバタで出発。
レンタル会社では一通りの説明を受ける。
今回の横断で私に課せられたミッションは、英語担当。
ヒュー!
こちらがキャンピングカーの内装。
昼間は座席と机になっているところが夜仕様でベットになる。
運転席の上がロフトみたいになっているのよー!
さ〜て出発だぜ〜!
初日は近場のwalmart(全米にある巨大スーパー)で必要物資の調達。
炊飯器だと思って購入したものがただの蒸し器で、速攻返品したのも良い思い出。w
そして初日から、ご飯の管理は車ごとにするかどうかで大討論w
色んな制約と色んな考えと色んな事情があるから話し合いは付き纏う。
毎日何かしら考えさせられる日々でした。
横断前のグループラインに載せていた自己紹介出てきた!
なんか27歳とゆー響きが無性に懐かしい。。。ナニコレ。
いつか私と一緒に「アメリカ横断芸人 」(という名の飲み会)やってくれる人随時募集中〜〜〜〜
ゆる記事ですが、1日1クリックお願いします🙏
ちなみに現1位は友人でもあり、お世話になった旅カフェギフトの元店長のピノちゃん!w
一瞬、私とピノちゃんでランキングが1、2で、まじでお店ある時にやっとけばよかった。(旅カフェギフトは年末閉店しました。ずん)
カウンターに2人立ってたら、、、、なんか豪華じゃない!??w
全米で泣いた!男女16人アメリカ横断物語!序章:ワタシとアメリカ
さあ〜!ついについにここまできました〜!!
せっかくなので「ワタシとアメリカ」という、誰得!?な話でも。
初!アメリカは高校1年生。
メリーランド州にある姉妹校の訪問とホームステイ、それから少しの観光で2週間くらいだったと思う。
鮮明に覚えているのは、ホストファミリーの娘ちゃん(当時高校生)が食べかけのアイスをポーイっと道に捨てたこと。
残ったピザがバサーとゴミ箱いきになったこと。
休み時間になった途端、生徒がハイテンションで叫んで廊下に集まること。
それから、同時多発テロの跡地、”グランドゼロ”を見に行ったこと。
そこでおじさんがアメージンググレイスを笛で演奏していたこと。
それを聞いたら自然と涙が出てきたこと。
時は流れ、大学3年生で2度目のアメリカ。イリノイ州にある大学に交換留学に。いやあ〜辛かった!とっても辛い10ヶ月だった!
自分が想像以上に英語ができなくて、簡単な言葉しか発せないと、頭の中まで幼稚になった気がして、自分はなんてバカなんだろうって本気で思って本気で凹む日々を送っていた。。。言語と思考はリンクするって本当だと思う。なかなかしんどい毎日だった。加えてアメリカンな食生活で体重が8キロ以上増える。
イベントで着た浴衣姿の写真をおかんに送ると、
「どこの相撲部屋の人?」
と言われる始末。ごっつあんです。
帰国直前。今んとここの時の体重が過去最高。ちなみにこのシャツはこの度のスペインで捨てた。
3度目のアメリカは当時付き合っていた彼との卒業旅行でロサンゼルスに。
「寒いからココア買ってくる」と言って戻ってきた彼の手にアメリカサイズのコーラがあった時は笑った。
そんなこんなで、もうアメリカはいいかな〜と思っていたのです。
ハワイも合わせると計5回アメリカには行ってるわけで。
わりかし満足していたのです、、、、がしかし。
ふとある日のフェイスブックに、
アメリカ横断メンバー募集!
投稿者はエジプトのダハブで出会った旅人のY介くん。
アメリカ横断、、、、だと???
LA(ロサンゼルス)からNY(ニューヨーク)をキャンピングカーで22日で横断する旅。
1人じゃ絶対一生できないやつ!!!!!
そうなんだよ!アメリカは車がないと行きにくい場所だらけ!
これは、、、、行きたい!!!!
ということで、遡ること2ヶ月前にアメリカ行きのチケットを買ったのでした。
出発直前の写真❤️
次回からは、全米が泣いた!とゆーか、全米で泣いた!男女16人アメリカ横断物語を私の脚色を加えて綴っていきたいと思います。
横断メンバーの皆様、何か不都合なことがあれば連絡ください。モザイクかけます。笑
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つづきが気になる!と思ってくださった方!
りょんの高校生の写真よりもおデブ写真にグッときたという方、
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全てのマイノリティに勇気を与えるロサンゼルス、Go For Broke National Education Center
2017年5月5日
アメリカ上陸3日目。
今日は荷物を全部持って移動。
昼酒からの終電メトロという怒涛の一日が明け、天気は晴れ。
ロスの5月は過ごしやすくて気持ちがいい。
「また同じ時間になー!」という別れ際のトマさんの言葉を信じて再びリトル東京へ。
途中に入った金物屋さん。日本の古いものがたくさん置いてあっておもしろい。
お店の人と世間話をして、昨日ぶりの日本村プラザに向かう。
昨日と同じ、パン屋さんの前についた。
みんなの姿はなかった。
レストランにも行ったけど、トマさん達はいなかった。
でも不思議と嫌な感じはしなくて、
あのいたずらっぽいお爺ちゃんに、からかわれたのかもと思うとクスリと笑えてくる。
なんだかとっても穏やかな気持ち。
のんびりしてて、綺麗で。
さて、1時間弱まったし、いーか!と思って、昨日行きそびれた442ndのモニュメントへ。
442ndについてはこちらのブログにまとめてあります↓
モニュメントで手を合わせ、お昼はせっかくだしラーメンでも食べようかなー!と思っていたところ!
ななななななんと!!!
まさかのgo for broke study center やないかーい!
(外観の写真を撮り損ねたのでリンク貼っておきます)
こんなものができているなんて知らなかった。
聞くと、半年前にオープンしたばかりだという。私の永遠のヒーローである、442ndのことを学ぶことができる施設だ。
これは私の中でthe best of museumに認定したい。
学べるし、楽しみながら考えさせてくれる、最高に素晴らしい展示だった。
とにかく仕掛け満載。細部までのこだわりがすごい。
これは全てタッチパネルになっていて、登録されているJapanese Americansのライフストーリーを見ることができる。
トランクをイメージかな?ポップでレトロなロゴも素敵。
音と映像満載で、資料館あるあるの”読み疲れ”の心配もない。
実際に、当時日系アメリカ人が強制収容所内でされた質問を投げかけられる。
左:アメリカ軍に志願します。
右:アメリカ軍に志願しません。
試しに、”志願しません”を選ぶと、、、、、
他の方法でアメリカ人としての忠誠を証明できますか??
この結果に対する準備はできていますか? と。
自分だったらどうするのか?を考えさせられる仕組みも満載。
こちらは、freedom is more important than safety(自由は安全よりも大切だ)に対して、自分の意見に合致する色のリボン、「とても賛成・賛成・反対・とっても反対」を投票していく。
地元小学生が社会見学に来ていた。
このメディアメーカーというのは、資料の中から自分で映像、写真、音など選んで組み合わせてオリジナルの動画の作成ができる。そしてメールで送ってくれる。
移動時間が迫っていたし、中々ゆっくり見れなかったのだけど、本当に素晴らしい施設だった!資料館って、どうしても堅苦しくて、興味はあるけど疲れちゃう、、、みたいなことが多いと思うんだけど、ここは本当に最新技術を駆使して、エンタメ性満載の素晴らしい資料館だった。次の世代に伝えて行きたいストーリーこそ、こういった形で残されていくべきだなと思った。
これはね、本気で行ってほしい!!
英語わからなくても、日系アメリカ人の歴史に興味がなくて、資料館として見る価値が十分にあると思う。
もちろん、私は最高に楽しかった!!最高の展示だった。また行きたい!
そして、出口付近には442ndだけでなく、多様なマイノリティの人々の声が展示されていた。それらが442ndの歴史を学ぶ意味を語りかける。
自分は自分でしかなくて、
自分自身であることを、力強く勇気づけてくれる。
442ndは、 全てのマイノリティーに勇気を与える存在。
本当にヒーローなんだよな。
だからやっぱり、彼らは私にとって永遠のヒーローだ。
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なななななんと現在ランキング1位!😳
皆様のご協力に感謝感謝です!🙏💕
本日も1日1クリックお願いします❤️
ロサンゼルス、リトル東京で昼酒を浴びた日。後編
2017/05/04
アメリカ上陸2日目、後編はじめます。
前編はこちらから↓
博物館のソファで目が覚めた私。
(つまりI was drunkってやーつ😂)
申し訳ない気持ちで足早に博物館を去る。本当に、恥ずかしいし申し訳ない、、、
しかし起きてしまったことは仕方がない!気を取り直して、本日のミッション2つ目!ララランドのロケ地に向かうことにする。
予定外の昼酒と予定外の昼寝のため、もちろん予定外に遅くなってしまったにも関わらず、そのまま突き進んでしまうのが酔っ払いの怖いところ。
目的地のハモサビーチについた頃には、沈みきった太陽の余韻で空はうっすらとオレンジ色。
ミアとセバスチャンが初めてデートをした ”the light house cafe”はどこだろう?
グーグルマップを頼りに到着ー!
あれれ?イメージと違う~~!なぜーーーーーーー!??
ずーん。となりながらも、せっかくなので夜のビーチを散歩。(これが大間違い)
そのあとに通りをぐる~っと回って裏の道を行くと、、、ありました!!!
これだ!車が止まってしまっていて残念だけど、これだ!!!
本日のミッションコンプリート!
心置き無く宿に帰ろ〜! !
が、しかし!
待てど暮らせどバスがこない。笑
1時間以上経過。
反対車線のバスを何本か見送って益々不安になる。。。(おかげで酔いが完全に覚めた!笑)
すると、一台の車が近づいてきて、おじさんが話しかけてくる。
「どこまで帰るの!?」と。ウーバー的な会社だと紹介されてビジネスカードをもらうも、何となく不安。
「ごめんなさい!疑ってるわけじゃないんですけど、不安なんです!」と正直に伝えると、
「OK,OK」と言ってくれて、なんとバスを調べてくれて、結局反対車線のバスに乗ることに😭
そこで乗り合わせたたおじちゃんも、ものすごく親切で、乗り換え場所ミスってパニクってる私をわざわ追い駆けてきてくれて、近くにいたお姉さんを捕まえて共に説明してくれて、どうにかハリウッドまで帰れるメトロの終電に滑り込むことができた。
間一髪。
しかし終電メトロの駅の雰囲気、ヤバめ。😭
人を見た目で判断してはいけないよね!!と思ったにもつかの間。
はっぱキタ~~。
車内に立ち込める、文字どおり危ない香り。
(後に気になって調べると、カルフォルニアでは合法になったみたい。😳)
終始ビクつきながらも何事もなくハリウッドに帰還。
何事もなくて本当によかった。。。。
今ここで言うのもなんの説得力もないんだけど、旅中のMYルールに、暗くなった時の1人行動は絶対しない!とゆーものがありました。やっぱりお酒の力って怖いと思います。
でもやっぱり、昼酒って最っっっっっ高だよね!!!!🍻
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